2020年6月 1日 (月)

これからのライブは “気” のやりとりが増す

2/11のファンダンゴでのライブを最後に制作期間に入り、そのままコロナ問題が拡大し、四月の頭から入っていたライブ予定が以降すべて延期・中止となった。
たまたま以前より計画し、進めていたライブ配信の予定を早めてスタートしたのが、4/21。
そこから一ヶ月で12回、二曲ずつお届けするというライブ配信を行い、この四月末より投げ銭制での60分ライブ配信という形でようやく流れ的にもライブ的な形式に近づいてきた。
 
いや、近づける必要はもはやなく、“配信” は配信ならではの魅力があることを自分たちも、いつも観に来てくれている方々も感じてしまっただろう。
 
 
それと同時に、実際に同じ空間を共にし、真実そこで鳴っている音を波動として体で受け止められる “生” のライブの価値は、それを愛する者たちにとってはより高まっていることもまたたしかだと思う。
 
 
その二つの魅力と価値を感じた上で、現在ようやく会場でのライブ再開に向けて動き出しているところだ。
七月のライブから当初予定していた各所と話を詰めていっているところなのだが、いざ再開しようとなるとあらゆる面でまだまだ厳しい状況であることに直面する。
大阪府がライブハウスに向けて出したガイドラインなどを見ると、なかなか厳しい条件が書き並べられているのだ。
 
 
・施設内は原則着席、着席が難しい場合は、客同士の距離(できるだけ2mを目安に(最低1m))を確保。
・咳エチケット、飲食時以外はマスクの着用、手洗い・手指の消毒の徹底
・テーブル間は、飛沫感染予防のために透明なパーティションで区切るか、できるだけ2m(最低1m)以上の間隔を空けて、横並びで座れるように配置を工夫し、カウンター席は密着しないように席を1つ開けて空間を確保すること。
・横並びで座れない場合は、真正面の配置を避けるか、またはテーブル上に区切りの透明なパーティション(アクリル板等)を設けるなど工夫すること。 
・対面で販売を行う場合、透明アクリル板やビニールカーテンにより購買者との間を遮蔽するよう努めること。(チケットや物販)
・現金の取扱いをできるだけ減らすため、オンラインチケットの販売やキャッシュレス決済を推奨。
・入場時のチケットもぎりの際は、マスクや手袋を着用すること。
 
などなど…
感染防止のため、お互いの安全と、それ以上にマナー的な部分など気持ちの面はしっかりフォローしていかなければならないと思っている。
 
 
これからのライブはどんな様相になるのだろうと想像してみるのだが…
 
ステージから皆さんを見ると、全員マスクをしていて、大きな声で反応もできないのだから…
笑っているなどの表情や、会場のムードというものが感じられるのだろうか…

配信でみんなが得た楽しみ方とのギャップがより大きくなっていく。
配信はライブ中に心の声を言葉にして出せるという強み、それをずっとみんなで共有できるというおもしろさがある。
実際の生のライブではできないことだ。
 
しかし、これからまだしばらくはライブ会場では大きな声でも表情でもなかなか反応をもらえないかもしれないのだ。
 
 
しかし、実はあまり悲観的にはなっていない。
逆に、ちょっとそれはそれでワクワクしているところもある。

だって、声や表情をも越えたところで、心のやりとりをしなければならないのだ。
じゃぁ、そんなことはもう気にせず、ただ単に一方的に歌って演奏して、ハイ聴いて下さい、というものになるなら何もわざわざお互い時間と労力を割いて会場に集まることもない。
明確な反応を示す示さないということではなく、どんな形でも双方の何らかのエネルギーのやりとりがあるからこそ、生のライブというのは意味を成すものなんだと思う。
 
まず、その価値をこうしてあらためて理解できたことが非常に大きい。
 
 
そして、喜びや楽しさ、衝動や興奮を、声や表情ではなく、もはや “気” くらいのレベルでやり取りすることになるかもしれないのだ。
それはそれでとても魅力的じゃないか。
 
会場内をあらゆる気が、想念が、飛び交っている…
もしかしたらこれまで以上に場の熱量は増すかもしれない。
 
ニュータイプの時代がとうとう…
 
 
そういえば、自分たちはそれを一度、身を持って体験しているのだ。
 
 
2013年の7月、奈良の音声館にて。
ライブレコーディングではなく、小ホールでのレコーディングを限定60余名に観ていただくという試みだった。
 
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実際にステージで生演奏をしているのだが、あくまでレコーディングだからフロアで観てくれている皆さんは声を押し殺し、気持ちだけで反応してくれている ━━━━
あの時の場のエネルギーは緊張感も相まって、なかなか体験のできない稀有さがあった。
 
これからのライブというものにおいては、レコーディングであるという無駄な緊張の面は不要で、楽しみの部分が増すわけだからなかなか魅力的なところもあるのではないか、と感じている。
 
 
と、ライブ自体にはこれまでとはまた違う楽しみも見出すことは可能だ。
 
あとは興行として成立するか、それを持続させていくことができるかが、この業界のこれからの大きな課題であるだろう。
例えば我々がよくワンマンをしている雲州堂のキャパシティでいえば、テーブルを出して食事もできる状態なら満席で40名くらい。
それを今後は半分の20名にしなければならない。
 
単純にこれまでの採算に合わせるならばチケット代を倍額にしなければいけない。
 
わざわざ時間を割いて足を運んでくれる方々に安易に負担をかけるようなことはしたくないので、どうすべきかということを悩んでいる。
かといって、こちらや店が負担して赤字を出していては続けていくことはできない。
趣味のライブで時々楽しみのためにやっているというのなら話は別だが、それを生業としている人間たちにとっては本当に死活問題である。
 
では、キャパの広い会場にすれば良いのではないのか、というと
会場が大きくなると会場費も人件費もどんどん増していく。
大きな会場で、しかも人数制限をしなければならないとなると、とても気合いだけではやっていけないことになる。
 
ホールでのオーケストラの公演など、今後どうなっていくのだろうか…
 
 
そして、これは大きな遠征費用のかからない、大阪や奈良といった地元での話だ。
これがツアーとなったらどうなるか。
今後しばらくは本当に遠征は厳しくなると思う。
 
 
多くの専門家の方々の意見では、この状況はあと三年は続くだろうということだ。
 
 
甘んじて受け入れている場合ではない。
 
 
本当に考えるべきときが来ている。
中には、別の道を選択する者もいるだろう。
そして、この道を進むなら、これまでのセオリーで続けていくことはまず不可能だろう。
 
何か、これまで以上の価値を見出せるチャンスでもあると思っている。
 
まだ何も見出せてはいないが、そうしないと到底成り立たないのだから、考えざるを得ないのだ。
 
 
きっと、魅力は増していく。
古い価値観や楽しみ方に固執する必要はない。
 
あとはそれをいかに継続していけるような方法、あるいは催す価値を考えられるか、だ。
 
 
あらゆる業種が、人が、試されているときだと思う。
 
 
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8/29(土) 大阪 雲州堂 で予定している CD発売記念ワンマン ですが
上記のように、現状ではこれまでの半数という人数制限での開催になる模様です。
なので、もう少し経過を見ながら、6月末の予定で先着順 (CD料金込み) でのご予約から受付を開始することを検討しています。
余裕をもってお知らせをしますので、Website・各種SNS、あるいはこちらをチェックしていただけると幸いです。
 
その時期の状況によっては緩和される可能性もありますし、ご予約形態も何種類か設けられるかもしれません。
しばらくお時間をいただきますが、ご予定いただける方はどうぞよろしくお願い致します。
 
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606
 
『デ・オッシの60分ライブ』 【投げ銭制】
6月 7,14日(日) 11:00am~
ご視聴は無料です。
楽しんでもらえたら 公式ネットショップ 「ドドイツ」 にて投げ銭をお願いします。
 
 
606_20200601001901
 
『デ・オッシの60分ラジオ』
6月 4,11,18日(木) 21:00~
楽しいトーク番組始まります。
新アルバム・秘蔵音源かけます。
 
 
  ●共に Twitch にて。
 
 
詳しい “ご視聴方法” は コチラ にて
 

2020年5月28日 (木)

自分の過去最高のライブ

かつて自分の記憶の中での最高のライブは 2005年1月 バナナホール (現・umeda TRAD) でのライブだった。
まほろば楽座としての三度目のワンマンショウ 「大座興」~すえひろがり寿~
 
正直に言うと、内容は断片的にしか覚えておらず、ただ後半に感じた興奮や会場の一体感、終演後の充足感がその良い記憶の素となっていた。
 
その帰り道に定食屋で200枚以上の束になったアンケートを読みながら、少し何かを成した感に浸れたところも記憶に色付けしてくれていたのだろう。
 
もちろん、それはまほろば楽座時代においてもあくまで目標の途中にすぎず、より高みを目指すべく頑張っていくはずだったのだが…
半年後に主要なメンバーが二人も脱退することになるとは、そのときは思ってはいなかった。
結果的にまほろば楽座が最も栄えていたのはその三度目の大座興の頃だったんだろう。
まさに夢なかば、だ。
 
270人の来場者、ゲストや関係者も含めれば300人近く。
目標の途中とはいえ、自分たちのために集まってくれた多くの方々を前にステージに立てば緊張と興奮は否めないだろう。
 
もう15年も前のことだ。
いくらか記憶も感情も脚色されているだろうし、実際には随分と疑わしくなってきていた。
 
それでも、その後メンバーチェンジを経てマホロバガクザとなり、音楽的には多少成長できた時でも…
バンドとしての活動をあきらめ、二人のユニットのNolenNiu-de-Ossiとして再始動し、悩み続けていた時も…
ひとつの目標は、あの三度目の大座興を越えることだった。
そこを越えない限り、スタート地点にも戻れていない、という感覚だった。
 
おそらく、2017年あたりまでの10年以上はどこかでそう思っていたんじゃないだろうか。
 
それ以降は今の自分たちが精進を重ねて得ていることの自負も幾らかは増し、さすがに15年前の自分たちを越えられてはいない、とは思ってはいない。
過去に幻想を抱いて自分たちを慰める必要もなくなっていた。
ただただ、悩み苦しみながらも楽しかった頃の最上の思い出のひとつとなっていただけであった。
 
 
そのようにやけに幻想的な記憶になっていたのは、記録が残っていなかったからだ。
 
 
と、思っていた。
 
 
が…
 
 
先日、たくさんの過去のDVDと共に発掘されたのだ…
クローゼットの奥深くにしまい込まれていたタイムカプセルの中から…
 
ワンマンショウ 『大座興』 ~すえひろがり寿~ のDVDが。
 
 
おそらく、まほろば楽座からマホロバガクザとなり、NolenNiu-de-Ossiとなり
悩みながら活動していく中で、現状と比較して幾らかでも華々しい記憶のある過去はできるだけ封印したかったんだろうな。
気持ちの上で過去の自分を越えられなければ、それを懐かしんだり楽しんだりすることなど辛くてできないのだ。
 
 
もはや今となっては幼少の頃の自分のアルバムを楽しむくらいのノリで見ることができる。
内容はさておき、あの感動や興奮はどこまで記録されているのだろう…
 
 
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おぉ… バナナホール (現・umeda TRAD) にたくさんの人が集ってくれている。
 
 
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当時はライブハウスの記録メディアがようやくビデオテープからDVD-Rに替わってきた頃だった。
カメラ自体はビデオテープ用のクオリティのままだろう。
しかも広いバナナホールの最後尾にあるカメラで撮っているから… 非常に粗い(笑)。
更には、いわゆるライン音源 (PA卓に入ってくる音をそのままメディアに録音している) なので、会場の雰囲気などはほとんど味わうことができず、演奏の良し悪しをシビアに突きつけられるだけ(笑)。
 
 
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あぁ… こんなこともやってたな… こんな曲もやってたのか…
と懐かしみながら観ることはできたのだが…
 
 
とにかく、我ながら歌も演奏も酷い(笑)。
もちろん、15年も前のものなのだから、そう思えないといけないとも思うのだが…
そういう差異を差し引いても、やはり酷い。
しかし、それは自分たちを振り返ってみれば何ら不思議なことはなく、まぁそれくらいの努力しかできていなかったのは確かだしな、とハナから折り込み済みではある。
 
 
楽しみなのは後半だ。
 
演奏力や歌唱力は一旦横に置かせていただいて、あのとき得れた興奮や感動はいかなるものだったのか… それを思い出したい。
 
 
「かたばみの実がはじけるたびに」 から 「刹那の盛夏」 を経て、「風まかせ節」 「啓蟄」 「淡い光」 「哀歌」
 
怒涛のように曲が続き、たしかにステージ上もフロアもヴォルテージがあがっていっている様子は垣間見れた。
たしかに…
たしかに、そこに立っていれば気持ちが高揚したのかもしれない。
しかしそれが、今となっては何だかさほど魅力的な記憶となって蘇ってはこなかった。
 
あれほどの集客力があった時代の自分たちには戻れていない。
記憶にあるようなあの興奮はたしかにあったのだろう。
しかし、それはあれだけ集まってくれた方々のパワーにのせてもらっていただけだった。
自分の力で、音楽の力で、場のエネルギーを作ったような気がしていたのはきっと錯覚、とまでは言わないが、あまりに美化しすぎた記憶だった。
 
興奮した。
感動した。
 
それは間違いがない。
 
あの日、あの場所に来てくれたみんなのおかげで、それを味わわせてもらえた。
 
しかし、ようやく過去の幻影からきれいさっぱりとお別れすることができたような気がする。
もうとっくにお別れしていたつもりだったけれど、正直このDVDを見つけて内容を確認するまでは、やはりどこかですごい体験を反芻できるんじゃないだろうかという期待を恥ずかしながら持ってしまっていた。
 
 
こうしてあらためて確認できたのも良かったのではないだろうか。
その後、自分たちが歩んできた道は決して誤ってはいない。
今の自分たちが、今の自分たちの価値観で、どこまで高みに辿り着くことができるか、しかない。
このタイミングで過去を笑って洗い流せる機会を得れたのも何かの思し召しだろうか。
より未来が楽しみになっている。
 
 
まぁ、それにしても途中何度も顔をしかめてしまうくらい、流れもMCもよろしくなかったんだけど(笑)。
 
 
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恒例の、ヒゲ(Ba)のコーナーだけは普通に楽しんでしまった…
いや… おもしろかった(笑)。
 
 
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あれはヒゲの全盛期だったなぁ… (遠い目)
 
 
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黒子の岡本規の小芝居もかなり楽しかったが、これは彼の名誉のためにも墓場まで持っていっ… あっ…
 
 

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過去と言えば…
 
 
今週末 5/29(金) 19:00~ 販売開始です!
 
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 小林未郁 × デ・オッシ
 バーチャルトリップツアー
『過去の世界で待ち合わせ』
 
①2018年7月29日 高田馬場天窓.comfort
②2019年5月17日 名古屋BLUEFROG
③2019年5月18日 大阪 雲州堂

販売期間 2020/05/29 19:00 ~ 2020/06/05 23:00
各40分前後 それぞれ 1,000円(税込)
 
2020年『どこかの世界で待ち合わせ』ツアー中止に際しての特別企画として
今回予定していた三会場での過去ライブ映像をオンライン販売します。
(PCで動画ファイルをダウンロード、またスマホ等でストリーミング視聴も可能です。)
ご来場いただいた方には想い出を振り返っていただきながら、また行きたかったけど行けなかった…という方も
オンラインで一緒に過去のツアーを巡ってもらうことができます。
それぞれの会場に予約をしてライブを観に行く心持ちで、各会場の動画をご購入ください。
会場ごとの売り上げから手数料などを差し引いた80%を、それぞれの会場に寄付します。
 
収録時間が予定より少し長くなりました。
幻想的な歌の世界と共に、MCなどライブならではの楽しい雰囲気も。
収録曲はそれぞれ違うので、各会場のムード共に是非そこも楽しんでくださいね。
 
● 販売は 公式ネットショップ「ドドイツ」 にて!●
 
どうぞお楽しみに!
 
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60
 

ライブ配信『デ・オッシの60分ライブ』
 5月31日(日) 11:00am~ 【投げ銭制】 
 
視聴方法は コチラ にて。

 

2020年5月27日 (水)

会えてないのに会えてる不思議な感覚 【デ・オッシの60分ライブ1】

昨日は初の長尺ライブ配信 『デ・オッシの60分ライブ』 でした。
ご視聴・投げ銭、本当にありがとうございました。
皆さんお一人お一人のお気持ちに、感謝しても感謝しても足りないくらいの想いです。
 
これまで 「10分ライブ」 という名の20数分間のライブ配信を12回やってきて、それはこのコロナ禍の中で自分たちの音楽で何か世の中に楽しいことを届けられないか、という想いからだったのですが
あくまで自分たちの喜びと皆さんとの時間を大切にしたい気持ちから継続してきました。
それ自体ありがたいことだったのですが、その間の幾らかの苦労も報われた気持ちです。
感謝しかありません。
 
12
 
アーカイブ は数日残しておきます。
リアルタイムで観ていただいた方には再度楽しんでもらえるように。
観たかったけど諸々都合が悪かった方にも楽しんでもらえるように。
もちろん無料で視聴できますが、そちらも楽しんでもらえたら投げ銭してもらえると嬉しいです。
(あっ… まさかだけど、アーカイブを見るたびに課金とかはしないでいいからね! 念のため…)
 
 
投げ銭は、皆さんの応援のお気持ちからいただけていることを感じつつも、自分たちのやっていることが何かしら魅力や価値のあるものかどうかという評価にも繋がると思っています。
なので、もちろん… 無かったら自分たちの価値を見出せず悲しいですが…
しかし、まず音楽自体やあの時間を楽しんでもらえることを第一にしたいし、これからも末永く味わってもらいたいので、どうぞ無理のない範囲でお願いします。
まず気持ちに負担がかからないよう、楽しんでもらえた分で。
 
我々は毎回その期待を越えるものをお届けできるよう、常に思案して精進していきたいと思っています。
 
11_20200527130201
 
さて、次回はもう4日後!
 
 5/31(日) 11:00am~
 
久々の日曜の午前配信を再び、デ・オッシの60分ライブ 【投げ銭制】 でやります。
投げ銭は今回と同じく 公式ネットショップ「ドドイツ」 にてお願いします。
 
「虹祭」 に続く 新曲 も初披露します。
是非とも聴いてもらいたい、デ・オッシならではの曲です。
 
このコロナ禍の中で始まった、デ・オッシのライブ配信。
その悩ましい状況下での様々な心の動きがメロディーと言葉になって溢れ出てきたものが、この新曲2曲。
 
実際にはお会いできていないけれど、
しかし確実に皆さんと過ごしたこの数ヶ月の記憶が、
これからもこの2曲の景色として残っていくだろうなと思っています。
 
どうぞ楽しみにしていてください。
 
 
初めての方は、視聴方法などを コチラ に詳しく書いているので、是非ご覧になって一度覗きにきてください。
お代は見てのおかえり。
どうぞお気軽に。
 
 
2020.5.26 デ・オッシの60分ライブ 1

1. 眠りの町
2. 出口のない町、あるいは終わりのない回廊
3. 永遠の妄想
4. 白い月
5. (通称:前ずり) ~ ゆきずり
6. 虹祭
7. 決めた
8. (通称:TOKUSHIMA) ~ ソラの世界
 
encore 夜明け前の譚詩曲
 
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それでは、5/31(日) 11:00am~ もどうぞ楽しみにしていてください。
またお会いできるのを心待ちにしています。
 
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その前に!
今週末 5/29(金) 19:00~ 販売開始です!
 
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 小林未郁 × デ・オッシ
 バーチャルトリップツアー
『過去の世界で待ち合わせ』
 
①2018年7月29日 高田馬場天窓.comfort
②2019年5月17日 名古屋BLUEFROG
③2019年5月18日 大阪 雲州堂

販売期間 2020/05/29 19:00 ~ 2020/06/05 23:00
各40分前後 それぞれ 1,000円(税込)
 
2020年『どこかの世界で待ち合わせ』ツアー中止に際しての特別企画として
今回予定していた三会場での過去ライブ映像をオンライン販売します。
(PCで動画ファイルをダウンロード、またスマホ等でストリーミング視聴も可能です。)
ご来場いただいた方には想い出を振り返っていただきながら、また行きたかったけど行けなかった…という方も
オンラインで一緒に過去のツアーを巡ってもらうことができます。
それぞれの会場に予約をしてライブを観に行く心持ちで、各会場の動画をご購入ください。
会場ごとの売り上げから手数料などを差し引いた80%を、それぞれの会場に寄付します。
 
収録時間が予定より少し長くなりました。
幻想的な歌の世界と共に、MCなどライブならではの楽しい雰囲気も。
収録曲はそれぞれ違うので、各会場のムード共に是非そこも楽しんでくださいね。
 
● 販売は 公式ネットショップ「ドドイツ」 にて!●
 
どうぞお楽しみに!
 

2020年5月20日 (水)

“まほろば” という20代の頃のバンド

本当にたまたまのことだったのだが、昨日Twitterを開いたら、ちょうど自分が20代の前半からやっていた「まほろば」というスリーピースバンド (まほろば楽座の更に前身) の音源のことを書いてくれている人がいて、ふと懐かしくなってそれを探してしまった。
 
 
Photo_20200520222501  

 
もう20年以上前のことなのだが、興味本位で一曲聴いてしまうともうその当時の想いなどが様々蘇ってきてしまって止まらなくなってしまった。
あまりに久しぶりに聞いたので、歌詞などもあらためて客観的に聞くことができたのだが、当時自分が置かれていた状況などを思い出して、よく抜け出せたなと思えたこともあるし、何を若造が生意気なことを言っとるんだ… と失笑することなど…
こんなに過去の自分を楽しめるとは思わなかった。
 
 
当時の音源はまだカセットテープで、オムニバスCDに参加することだけでもそれは一大イベントだった。
そのカセット自体は一応持ってはいるのだが、聴く機器は持っていない。
今こうして多くの過去の音源を聴ける状態にしてくれていたのは、実はとある人物のおかげだ。
 
まぁ、何ももったいぶることはないので言うと、とるこさんなわけだ(笑)。
 
当時は単なるミュージシャン仲間で、アーシーな古いロックを好きなオルガン弾きがいるということでいつか鍵盤を弾いてくれたらなぁ、くらいの知り合いだったわけだが
何だかんだで、「まほろば」 をすごく気に入ってくれて、おそらくすべてのライブを観に来てくれていたと思う。
解散ライブではメンバーが誰ひとり泣いてもいないのに、とるこさんだけは泣いていた(笑)。
 
自分たちの作品の管理すらできていなかったので、今となっては本当にありがたいと思っている。
 
 
さすがに過去のことすぎて、自分があまりにも未熟すぎて、これまでわざわざ公に出す気にはならなかったのだが
もうここまで歳月を経ると、未熟なせがれを紹介するくらいの親バカ加減で晒すのも良いかなと思えてきた。
 
 
というわけで、期間限定にするかもしれないけど
20代の1997~2000年あたりにやっていた「まほろば」というスリーピースバンドの音源を幾つか紹介したいと思います。
 
自分はボーカルとエレキギター。
当時は1974年Fenderストラトキャスターで、アルバート・コリンズやヒューバート・サムリン、ゲイトマウス・ブラウンのように人差し指一本だけで弾くことにこだわっていたような。
今思い出しても本当に何のためにこだわってたのかはわからないんだけど、結構すごいことを頑張ってた気がする(笑)。
 
Yy_20200520222501

 
そして、フレットレスベースと、ブラジル帰りのドラマーの三人編成。
曲は基本的には自分が作っていたけれど、スタジオでセッションで作り上げていくものも多かった。
とにかく、聴いてる人には伝わらない難解なこだわりが多かったことは確かで、それはあくまで自己満足にしか過ぎないんだけど、ミュージシャンとしての自負やアイデンティティはここで育まれてしまった感は否めない…
 
歌が… 我ながらひどくて…
この当時は本当にボーカリストとしての自覚はまったくなく、楽器を弾きながら歌う人くらいのイメージしかなくて、今からタイムマシーンに乗って当時の自分を叱りに行きたいんだけどそれもなかなか難しいのでお許しください。
 
 
それでは、垂れ流しですが、20年以上前の音源歌詞・小話と共に聞いていただきましょう。
全7曲 30分です。
 
まほろば (1997~2000年)
 
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『白昼夢』 作詞・作曲:喜多 寧
 
また君を憎み始めて
まず君に謝罪文を書こう
見失わぬよう
 
はみ出した記憶 取り戻すために 何かを捨てねば
やけに勢いよく 降り続く雨に すべて託せたら
吐き出した嘘や 繰り返す過ち 流してもいいかな
守るものひとつ 探し物ひとつ 打ち明けていいかな
 
白昼夢 目覚めて今
君の姿 少し確かめ始めた
見失わぬよう
 
張り詰めた空気 緩和するために 何かを捨てねば
恥じらうことなく 臆することもなく すべて話せたら
何も残らない 虚しい言葉も ときには放つだろう
守るものひとつ 探し物ひとつ 打ち明けよう
 
価値観なんてものを共有しようなんてもがくより
君と僕 それぞれを認め合えるってのはどうかな?
 
見失わぬよう
 
はみ出した記憶 取り戻すために 何かを捨てねば
やけに勢いよく 降り続く雨に すべて託せたら
吐き出した嘘や 繰り返す過ち 流してもいいかな
守るものひとつ 探し物ひとつ 打ち明けていいかな
 
白昼夢
 
あと少し
 
まどわされていられたなら
まだ
まだ
まどろんでいられたなら
あと少しこの麻薬的な世界で
憎しみさえ、虚しささえ、溶かせられるのに
 
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一番の定番曲だったかなぁ…
この「まほろば」で初めて東京へツアーに行き、いわゆる業界人にも気に行ってもらって一杯のコーヒーがべらぼうに高い青山の喫茶店でガチガチになりながらできるだけ偉そうな態度をとっていた思い出も蘇るわ…
ものすごく憧れていたプロダクションの人にこの曲を気に入ってもらって、名曲とまで言ってもらえて、その後まったくうまくはいかなかったけれど、自分自身の自信にはなった青春の一曲。
前半はパンデイロだけでリズムが刻まれ、後半にドラムに変わるというのもおもしろいね。
可能性は無限に感じるメンバーだったこと、それは確か。
 
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『理不尽な風まわれ』 作詞・作曲:喜多 寧

たとえばタバコはソフトパックが好きで
懐の中でいつも間にか崩れた姿などたまらなく愛おしい
その丸みが必要だと思った
でも時にはボックスにしかありつけないこともあるわけで
束の間の付き合いと思っても、人はそれを妥協と呼ぶのであろう

途轍もなく合理的なこの右手の悪行を
未熟な左手が咎めることなど愚かなことだろう

ところで哲史と戯れに行ったとき
やけに事がうまく進んで
とりわけ俺は宿無しのマックイーンみたく帰る家などないと思った
でもときには山頂で落胆することもあるわけで
せめて印だけはと思っても、人はそれを妥協と呼ぶのであろう

途轍もなく合理的なこの右手の悪行を
未熟な左手が咎めることなど愚かなことだろう

肯定も否定もできない君の一方的な意見に従うのは
君という存在を認めているからがゆえに
でも人はそれを妥協と呼ぶのであろう

途轍もなく合理的なこの右手の悪行を
未熟な左手が咎めることなど愚かなことだろう


守るべきものがあるのなら
災いに見舞われたらいくらでも融通は利かせるさ

理不尽な風まわれ
好きなだけまわれ
理不尽な風まわれ
俺たちのすべてを奪ってくのならそのときは…
 
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これも定番中の定番だったな…
複雑な展開と、ブラジル音楽に由来するリズムパターンをポップスに昇華したところは誰にも気付かれることはなくても今でも誇らしく思っている。
ちなみにタバコはとっくの昔にやめました。
 
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『明日目覚める人』 作詞・作曲:喜多 寧
 
夜明け前 寝る場所を探してた
付き添いの犬がゴミを荒らしてた
レールの軋む音が遠くで
謎のベールに包まれた今日を運ぶ
 
夢から覚めた金鶏たちが
まだ夢から覚めぬ俺を撃つ
 
高架下の壁の隅で犬と仮眠する
傍観者の俺は町の朝を封印する
 
巣立ったばかりの極楽鳥が
うたたねの俺を黙殺しようとも
 
旅路を迷う渡り鳥たちが
まだ夢から覚めぬ俺を撃つ
 
名曲から気の利いた言葉を探し出し
君の背中に書いて羽根もつけてやる
 
旅立った友は遠くの町で
すり減った靴を履かないらしい
 
やたら甘い子守唄が響く
明日目覚めるひとたちだけのために
 
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おそらく「まほろば」で最初にできた曲ではないだろうか。
一応まとめたのは自分だけど、ほとんどセッションで作ったような覚えがある。
初期だけに歌は一段と酷いね(笑)。
これまた、どうでもいいこだわりなのだが、この曲は普通のロックのようで実は 7/8 と 9/8 で出来ている。
結局は 4/4 だ。
しかし、演奏者は 7/8 と 9/8 で感じている。
切り方が違うし、アクセントが変わってくる。
聴いている人にとってはどうでも良いことかもしれないし、伝わらないかもしれないけれど、実は結構難しい。
そんなどうでもいいこだわりは今も脈々と続いてはいる(笑)。
歌詞はだいたい実話、というか実体験。
三味線担いでそこら中で弾いて、気が付けば知らない老夫婦の家に泊まらせてもらったり、公園で朝を待ったり、明日をも知れぬ自分を模索していた時代を思い出す。
あとずっと皮肉めいているところも… 今も人間的に成長できてないね(笑)。
 
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『明日の風』 作詞・作曲:喜多 寧
 
身勝手な確信でも
明日は明日の風が吹いてくるから
頬に沁みる湿度も受け入れてしまう
 
報われない明日でも
明日は明日の風が吹いてくるから
頬に宿る痛みも受け入れてしまう
 
身勝手な確信でも
明日は明日の風が吹いてくるから
深い傷になるかもしれない君への想いもすべて
頬に沁みる湿度もそのあと残った傷も受け入れてしまう
 
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おそらく末期の曲だったと思うけど、原型はスタジオのセッションだったんじゃないかな?
本場のサンバのリズムが主になってるけど、いわゆるサンバ的な曲を作ることは自分たちのやることではないので、あくまでそうは気付かれないポップス/ロックにしようと…
そう、“気付かれないように” というのは、このときから今まで続く癖のようなものかもしれない(笑)。
あとから “あっ そうだったんだ!” ってわかってもらえるくらい自然に成り立つものにしたというこだわりは…
きっと、とるこもそうだから今も続いているのかもしれない。
で、ふと思い出したけど、これはある種の失恋ソングだなぁ(笑)。
失恋にも至らないくらいの儚い関係の…
 
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『かげろう』 作詞・作曲:喜多 寧

金色の鳥が闇夜を駆け巡る
赤い月浮かぶ水面に影ひとつ
行く末も知らぬかげろうゆらゆらと
仮初のときにいくつ夢を見る

目が覚め気付いた 枯野に立ってた
素足で 無力で ひとりで
ゆっくり右手を差し出して怖れた
とまったかげろうは目を閉じた

虫の歌 響く乾いた耳の奥
いたずらに過ごした日々はいずこにか
末枯れるこの身を映す水鏡
舞い落ちる雫でひとつ波がたつ

夜風に流され 今頃気付いた
無欲で 無力で ひとりで
ゆっくり右手を差し出して怖れた
とまったかげろうは目を閉じた

行く末も知らぬかげろうゆらゆらと
仮初のときにいくつ夢を見る

目が覚め気付いた 枯野に立ってた
素足で 無力で ひとりで
ゆっくり右手を差し出して怖れた
とまったかげろうは目を閉じた

目が覚め気付いた

とまったかげろうは目を閉じた
 
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あ、違う。
これが最初期の曲だ。
自分で作ってスタジオに持ち込んで仕上げて、このバンドが始まった感。
サビのドラムが妙なところにアクセントが入っているように聞こえるけど、実は普通のエイトビートを一拍ズラして叩いているだけという…
完璧にズラすとこういう風におもしろくなって、後半のフィルでメンバーすら惑わされて危うくなるという、「誰が興味あるねん!」 というこだわりの一曲。
とるこさんは初期にこの曲を聴いたことで「まほろば」に興味を持ってくれたらしい。
日本人としてのアイデンティティを模索しているときにこの曲を聴いて、悔しいと思ったそうな。
そのミュージシャンとしての気概があるから今こうして一緒にやれてるのかもなぁ。
たしかに情緒は意識したかもしれないが、さほど日本的な何かにこだわったわけではなかった。
でも、あとから歌詞が五七五であることに自分が気付いて、そこからより意識できたような記憶はある。
 
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『鶏』 作詞・作曲:喜多 寧

午前三時 いつもと変わらぬ出で立ちで
今日もまた鶏たちを起こしに車を走らせる
まだ夜は明けぬ
 
路面には昨日僕が吐き捨てた言葉
まだ消えず明らかな責任の所在を求めてる
まだ夜は明けぬ
 
高円(たかまど)の山上に滲んだ日が昇ったら
仮初の純粋は次第に汚されていく
 
午前九時 田舎道をただひた走る
土手の花 心奪われそっと胸を撫でおろす
まだ許される
 
午前十時 吉隠(よなばり)を抜け、針(はり)へ急ぐ
山道でふと穏やかならぬ心に気付く
まだ大丈夫
 
唐古(からこ)から、鍵(かぎ)への道
望楼に火が灯ったら
錆びついた心も少しは癒されていく
また
 
午前三時 いつもと変わらぬ出で立ちで
今日もまた鶏たちを起こしに車を走らせる
路面には昨日僕が吐き捨てた言葉
まだ消えず明らかな責任の所在を求めてる
 
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当時はロックバンドだったから、アコースティックな雰囲気というのは特別だった。
アコギを使ったのはおそらく二曲のみ… そのうちの一曲。
奈良の地名を歌詞に持ち込みだしたのはここからかな?
かなりマニアックな地名ばかりだけど(笑)。
これも何のことはない。
ただの実体験をただ語っているだけだ。
当時ちょうど、自分の借金と共に他人の借金も背負って連絡が取れず、それの返済のために夜も明けぬ早朝から鶏肉の配送をしていたのだ。
まぁ、種を明かすと別れた彼女のために別れた後に肩代わりして借りてあげた金だったわけで、虚しさと辛さもある中、厳しい労働条件で必死で稼ぐ日々だった。
我が家系は昔々大きな造り酒屋だったらしいが、曾祖父あたりの時代に他人の保証人になってすべてを失ったらしく、幼少のころから親から印鑑だけはつくなと教わってきていたのに(笑)、まぁそのあたりは血筋かもしれない。
 
でも、あのとき…
あの頃に見た、若草山の向こうに朝日が昇ってくる瞬間や、朝焼けの景色の美しさは生涯忘れることはないと思う。
得も言われぬ自然の美しさに胸を撃たれたのは、ブレーキも効かないボロボロの2t車から見たものが一番だ。
正直、人生における底辺だったと思うし、とても辛かった。
でも、あの時に感動した景色以上のものを見られていないような気もする。
 
この曲を聞くと、早くミュージシャンとして大成しよう、と毎朝気持ちを引き締めさせられたあの時代を思い出す。
 
 
ついつい、忘れてしまう想いがある。
とても大切なことなのに。
 
過去の自分はとても恥ずかしいけれど
 
過去の自分に戻って、今の自分を見るともっと恥ずかしい。
 
 
おまえ、その程度で納得してるわけじゃないよな…?
 
もっともっとすごいヤツだったんじゃないのか?
 
単なる勘違い野郎だったのかよ、このしょうもない期待外れの情けないヤツが!
 
 
って、本当に自分を罵倒したいくらいだ。
 
 
なんでこんなに涙があふれてくるのかわからないけど
今こうして過去を振り返られたのはとてもありがたいことだったのかもしれない。
 
 
結局、おまえが生半可だったんだよ!
 
 
って過去の自分に言える自分であることだけが救いだ。
 
 
※ 最後に特別編として、2006年にマホロバガクザ+まほろばのDr の特別編成でやった 「理不尽な風まわれ」 も入れておきます。
クラビ&オルガンはもちろん、(現)とるこ です。
 
Maho28
 

聴いてくれてありがとう。
これで数々の過去の曲も成仏できることでしょう。
 
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次回のライブ配信はとうとう【60分】の長尺ライブ。
 
    ■5月26日(火) 21:00~
 ≫ https://www.twitch.tv/de_ossi/
 
是非、デ・オッシならではの物語をゆっくり楽しんでください。
この日は 【投げ銭制】 となります。
楽しんでもらえた分、投げ銭をよろしくお願いします。
その方法などは近日改めてお知らせします。
 
 
 デ・オッシ [DE-OSSI]
https://de-ossi.com/
 

2020年5月 4日 (月)

ライブとして成り立たせてくれている重要なもの

実は昨日のライブ配信時に別のカメラでも撮影をしていたので、それを視聴していたのだが…
どうも何かが足らない。
 
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一曲が終わり… あ、そうか、と。
アーカイブじゃないと、コメント (チャット) が見れないのか。当たり前だけど。
やはり、あれこそが配信でのライブ感だったんだな。
 
実際の会場でのライブ映像もそうだ。
映ってはいなくても客席のムードや良い意味での圧がステージに反映されている。
そこで響いている音楽だけではなく、拍手や笑い声もライブ感・臨場感を作っている大切なものであることは言うまでもない。
空間的にそれが存在し得ない 「配信」 という媒体において、リアルタイムで流れていくコメント (チャット) というものが、いかに “ライブ” として成り立たせてくれている重要なものであるか、ということをあらためて感じさせてもらえた。
そう、この別カメラの映像はただ二人が演奏している記録にすぎないのだ。(もちろん、見られている意識は大いに演奏に影響を与えているが)
 
双方向への送受信あってのライブ。
それは実際のライブでも配信でもやはり何も変わるところがない。
チャットに参加するしないは個人の好みで、楽しみ方は誰にも強要されるべきものではないが
ただ、配信であってもリアルタイムでしか味わえないものがある。
アーカイブも “とある” リアルタイムの記録であるから、観てくれた人なら反復して楽しむことはできるだろう。
それを感じられたことで、より意義を見出すことができた。
 
 
さて、無料ライブ配信の 『デ・オッシの10分ライブ』 はもう少し続けます。
感謝の気持ちと、皆さんと共に楽しく幸せな時間を過ごせる喜びを味わいたいので。
 
次回は明日 5/5(火) 21:00~
またのお越しを心よりお待ちしております。
 
 

デ・オッシ 即興セッション曲「狐狸の“爽”列」
 
 
  デ・オッシのTwitch
是非、アプリを取得してフォローしてくださいね。
 
視聴の詳しい手順は コチラ にて。
 
 
 
 
幅広い層の多くの人に届けたいという想いと共に
今は、伝わる人に、より深く強く気持ちを込めたいという気持ちがある。
誰もがその知識の中で受け入れやすい安易なものをやろうなんて気持ちはもとよりない。
でも自己満足で自分の理想にも追いつかないようなもので虚勢を張っていることも馬鹿馬鹿しい。
ただこの状況で、気持ちひとつで、音楽にあらためて気持ちを込めて、ただ届けたいという想いに、その瞬間すら逃さず、見届けてくれている人のことは、おそらくこの先もずっと忘れない。
うまく言えないけれど、本当に感謝しています。
ありがとう。
 
 
 デ・オッシ [DE-OSSI]
https://de-ossi.com/
 


2020年4月29日 (水)

デ・オッシの今の気持ちを伝えたい

どういう風に伝えれば良いのか勝手に難しく考えてしまっている。
あまり神妙に書くと必要以上に心配をされてしまうし、それは本望ではない。
かといって見栄を張って余裕を見せるのも逆に勝手に自分たちを追い込んでしまう気もする。
 
結論から言うと、もうしばらく… それがどれくらいの期間になるかはまだ続けてみないとわからないけれど
おそらく五月の中頃か終わりくらいまでは、収益などを考えず、自分たちの音楽や気持ちを伝えることに専念しようかと話し合った。
まずは、ライブ配信に関しての話だ。
 
もう何度かここでも触れているが、実際に二月末からすべての予定が消え、無収入の状態が続いている。
生きていくためには収益を上げるための活動をしなければならないのは社会人として当然のことだ。
たまたま元より、五月から有料配信などをする計画を立てていたので、そのタイミングが訪れたのだが…
 
 
実はそういったしっかりした計画を立てて提案をし、中心となってすべて準備してきたのはとるこだった。
もしかしたら、“しっかり堅実な喜多寧と天然で自由なとるこ” というイメージがあるかもしれないけれど、本当は逆だ。
 
もちろん、そういう面もある。
たしかにキャラクター的には自分でもそう思うし、とるこもそういうキャラだ。
 
しかし、実務的なことでいうと、実は自分はとても面倒くさがりで実に能天気で楽観的。
まぁ、何とかなるだろう… というノリで生きてきている。
それに対して、とるこはリスクヘッジに長けていて、徹底的に調査をし、先々のことも考えて面倒な事務作業も正確に着々とこなしていくタイプである。
対象に対しての真面目さとイージーさがそれぞれ異なるのがデ・オッシかもしれない。
しかし、堅実に考えなければいけない運営面では自分はとるこに任せて委ねていることが多い。
そうして計画してきた有料配信などに、とるこがどうも乗り気ではない気がした。
 
乗り気ではない、というと語弊があるかもしれない。
今、それをするより、もっと大切なことがあるんじゃないだろうか、そう思っている感じだった。
そして、実は自分もそうだったから、お互いの意識を確認したかったのかもしれない。
 
 
自分たちは音楽を奏で、それを届けるということを人生としていて、今こうして苦難の時を迎えている。
世の中がどこか閉塞感に包まれていて、自分たちも今どうすべきなのかを考えざるを得ない時だ。
そんなときに、ただ音楽を届けたい、という気持ちだけで 『デ・オッシの10分ライブ』 という配信を始めた。
それを必要としてくれる人は決して多いわけではないかもしれない。
しかし、毎回それを楽しみにして集まってくれる人たちがいる。
 
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もう何十年も人前で演奏をするということを生業にしてきているけれど、今あらためてそれに対して喜びと幸福、そして感謝の気持ちを味わっている。
 
生きていくためには諸々の採算も考えなくてはいけないことはたしかだ。
しかし、ここしばらくそういったことを考えずに、ただ楽しんでもらえること、喜んでもらえることだけを考えて回数をこなしてきたこと
また自分たちも演出から演奏まで、純粋に楽しみながらやってきたこと
それがとても幸福なことに思えた。
ありがたいことだな、と思えた。
これは音楽を奏でる者が決して忘れてはいけないことだな、とも感じる。
それを口にはしなくてもお互いわかったのだが、一応話し合いをして確認をした。
 
今はこんなときだし、もう少しみんなに楽しんでもらうことだけを考えてやろう、と。
 
決して余裕があるわけではない。
だけど、収益が絡んでくると否が応にもその大小はひとつの活動の目安になってしまうし、気持ちも左右されてしまうのが人間だ。
そうじゃないところで、今は音楽を純粋に奏で、ただ楽しんでもらうことだけを大切に活動したい、そういう気持ちが大きかった。
自分たちがそうしたいと思った。
 
結果はあとでついてくるだろう。
というのは甘い考えかもしれないが、まぁ、自分たちがその先も本当に存在する必要性があるのか、価値があるのかを問うのも悪くないだろう。
こういう状況で、そういうときが訪れているのかもしれない。
 
 
というわけで、もうしばらく 『デ・オッシの10分ライブ』 というものを続けてみることにしました。
週に一回になるか、二回になるか、あるいは…
そのあたりはGW明けの状況もみながら、それぞれの予定も照らし合わせてあらためて考えていかなければいけないけれど
できる限り、音楽を奏でていきたいと思っています。
 
 
音楽でウイルスをせん滅できるわけじゃないし、音楽で直接的に治療できるわけではないかもしれない。
でも、たまたま音楽といった形式をもった “何か” は多くのものを知らず救えるのかもしれない。
 
もしかしたら、あなたのことも。
そして自分自身も。
 
楽しむこと、それに対して憶病になったり、ましてや罪悪感などを決して持ってはいけない。
 
甘ったるいことを決して言うつもりはないけれど
 
お金を稼ぐことよりも、いや、その前にまず楽しめること、幸福を感じられること━━━
 
それは音楽じゃなくてもいい。
 
でも、たまたまその選択肢に音楽があるなら、それを選んで心に潤いや躍動を与えられたら何と素敵なことだろう。
 
 
夢見がちな時代はとっくに過ぎ去っているけれど
これからはそういう時代が本当に訪れるべくして訪れるんじゃないだろうか、と思っています。
 
 
僕らは自分たちの音楽を奏でます。
 
それを誰かに無理に響かせようとは思わない。
受け取ってくれる人の中で最大限に響かせられるならそれが最高です。
しかし、誰も拒んだりはしないし
こちらの扉を叩いて訪問してくれる人には心を込めて奏でたいと思っています。
ただ、ひとりでも多くの人に伝わることを願って。
 
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  『デ・オッシの10分ライブ
https://www.twitch.tv/de_ossi/
 
まずは明日 4/30(木) 21:00~
第六回目をお送りします。
 
視聴方法などは コチラ にて。
 
 
もちろん無料なので、是非怖いものみたさでも覗きに来てみて下さい。
皆さんのお越しを心よりお待ちしております。
 
 
デ・オッシ [DE-OSSI]
https://de-ossi.com/
 

ナガミヒナゲシが語りかけている

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空を見上げると、今日も世界は美しい。
それを不思議に感じることがとても奇妙な日々だ。
 
 
そして、道端の花に心奪われる。
 
 
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ナガミヒナゲシは近年の帰化植物なのか。‬
 
‪初めて日本で確認されたのは1961年。
そして、2000年以降に全国で爆発的に拡散… って最近の話だな。‬
‪たしかに、これだけ目につく色をしてあちらこちらにあるのに、日本の古いものに描かれてる様子がないように思う。‬
‪ナガミヒナゲシ=虞美人草という記述もよく見るけど、‬
夏目漱石が 『虞美人草』 を初出したのが1907年だから、この花を日本では見てないってことよね。
では、やはり虞美人草はその由来通り、項羽の愛人であった虞姫が自決したときの血という伝説がある紅色のヒナゲシの花だけを指す、ということなのかな?
 
ナガミヒナゲシは要注意外来種などには指定されてはいないものの、生態系に大きく影響を及ぼす危険性があるとして駆除を呼びかける自治体も多い。
そういえば以前にも、この花を綺麗だと言って投稿している人に対して、危険な外来種だから駆除すべきと意見している人がいたことを思い出した。
 
たしかにそういう危険性に対して知識を得ることや議論することは大切だけど、ただただ心惹かれて見ていたものがそうであると思うと…
 
なんだか、昨今の世界や、またこの日本の在り方と符号するところがあるような気がしてくる。
グローバル社会などと言いながら、いや、そういった政策が破綻してしまっているからか、逆にあらゆるものを排除しようという勢力も大きくなってきていた。
そんなものはないのに、人種的な純度でそれ以外を排除するような低俗な幻想がじわじわと蔓延していたように思う。
政策のようなものではなく、人心から自然発生的に求められたグローバル化なら、まだおかしな方向には向かないのかもしれないけれど、それはあまりに理想主義的な思想なのだろうな。
 
この先、世の中が、人心が、どう変わっていくか
このナガミヒナゲシを眺めながら、いろいろと考えさせられた。
 
変わるときのような気がしている。
 
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さて、『デ・オッシの10分ライブ』 も五回開催して参りました。
明日 4/30(木) は第六回目。
それ以降の予定は決まっておりません。
 
ただ、思いもよらず、この10分ライブが今、自分たちにとって大切なものになっている気がします。
もしこれを楽しみにしてくれている人がいるのなら、商業的な計画や展開、そういったものを抜きにして、自分たちも純粋に楽しみながら音楽を届けたい。
そんな気持ちが大きくなっています。
もちろん、それだけで続けられるほど気楽なものでは決してないんだけど、ただ素敵な時間をほんの少しずつ共有できることが、今とても大事で、そういった幸せが必要なんじゃないか、と思います。
図らずもこの10分程度、というのが良かったのかもしれません。
 
たった10分少々のことで大げさに聞こえるかもしれないけれど…
今後これをどうしていくかは、自分たちのこれからの生きていくための術と、純粋な幸福や喜びとをしっかり照らし合わせて、あらためて考えていきたいと思います。
 
みんなが集まってきてくれていること。
目の前で聴いてくれている姿を想像できること。
 
それがいま、本当に
本当に嬉しいんだよな…
 
 
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 デ・オッシ [DE-OSSI]
https://de-ossi.com/
 

2020年4月27日 (月)

世界があまりに美しすぎたので

ふと気付けば自分は草原に立っていて、見渡せば世界はあまりにも美しくて、不覚にも涙があふれそうになった。
我に返って言葉を失う、そういった状況だった。
 
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このコロナウイルス問題が我々にもたらすものは何なんだろう。
 
ウイルスなど蔓延しない方が良い、そんなことはあえて言うまでもないことだ。
しかしこの数ヶ月でコロナウイルスは幾つかの人間の本性を暴き、また人々の営みを急激に変えた。
たとえ終息しても、もはやそっくりのまま “以前” には戻れないだろう。
人々は様々なことに気付いてしまったし、「正常な状態」に戻ろうとするそのかつての「正常な状態」が果たして正常なものだったのかということに疑問を抱く機会になってしまったように思う。
 
良かったことはない。
しかし、考えなければいけない限界の時代には来ていたからこその、この現状ではないだろうか、とは思う。
 
 
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我々、奈良の人間は若草山や三笠山を拝みながら日々を営んでいる。
その色合いや季節による変化を当たり前に感じ取ってきている。
 
ここしばらくの若草山の鮮明さには驚きを隠せない。
特にこの時期。
何度もPV撮影などで苦労したことのある時期なのでよく覚えているのだが、このGWあたりになると不鮮明になるのが常だった。
それが本当にくっきり鮮やかに見えるのだ。
これも図らずももたらされたもののひとつではあるだろう。
 
今日は西へ西へひたすら歩いてみた。
この自粛期間のせいであまりにも運動不足になっているので時々、長距離ウォーキングをするように心掛けている。
 
どこまで行っても若草山の美しさが見事だ。
二駅近くまで行っても、大仏殿・二月堂まで鮮明に見える。
ビルなどがなければ当然ながら興福寺もよく見えたであろう。
かつて、大内裏に外京から圧力をかけていた藤原氏の威光のようなものにも思いを馳せられる。
 
 
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ここ最近は鳥たちも何か以前より朗らかで活発なような気がする。
いつも目にしているシラサギもアオサギも、鵜も、ヒバリも、ムクドリも、ハクセキレイも。
決して人馴れしているわけではないのだが、人様の往来を気にすることなく幾らか奔放になっているように見えるのだ。
 
そこには少なからず “改善” といったものを感じざるを得ない。
 
 
これを幸運と捉えるのはちがうと思う。
苦しんでいる人が多くいる災禍であることには違いない。
自分自身、これからの人生について考えざるを得ない状況だ。
 
しかし、ここから学ぶべきこと、学べることは本当に多いと思う。
決して過度にスピリチュアルなものに傾いてはいけない。
現実や、科学的なものを放棄することはとても危険なことだ。
でも、より自然的な、あるいは超自然的な、精神的な面で感じなけばいけないときが来ているのだとは、何となく思っている。
 
それは何かというと、人間の心そのもの、なんだろうと思う。
 
 
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そう感じるだけで、まだ全然清らかで立派なことはできそうにはないんだけれど
少しずつでもそうありたいと努力することを恥ずかしがるような見栄は消えていっているようには思う。
 
自分の中でずっと、“欲” を失いたくないという願望がある。
“欲” とは、つまり “俗” なものだ。
もしかしたら、それを放棄できたなら、本当の幸福に気付けるのかもしれない。
もちろん、それは口で言うほど容易いことではないだろう。
 
しかしどちらにしても、もう少しそれらを手放さずに、その世界で自分がどれだけ楽しみながら追求をしていけるか、見届けてみたいと思っている。
 
 
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奈良はいいな。
 
すごく空が広い。
 
自分の存在の小ささや、自分が生きてきた時間のあまりのちっぽけさを如実に感じることができる。
しかも悲観的ではなく、毎回大きな感動を持って、だ。
 
 
自分の来月の営みがどうなっているかわからない。
人生がどう進んでいくのかはわからない。
もちろん思案して計画はしているけれど、これまで以上に五里霧中で、且つ、希望にだけは満ちている。
 
 
 
さて、デ・オッシは現在、「10分ライブ」 というライブ配信を不定期でやっております。
 
音楽を奏でること、それを発信すること━━━
その意味や価値というものも、あらためて深く考えざるを得ないときです。
 
何かを押し付ける気はもとよりサラサラありません。
楽しめることがまず何よりのこと。
 
ただ、お互いにその時間を幸せなものにしたい。
それだけが明確になってきています。
 
あなたを励ますための応援ソングでもないし、愛を高らかに歌い上げるラブソングでもありません。
明るく楽しい曲も決して多いわけではないし、清らかな心で正しい道を説くような力もありません。
 
でも
 
誰かの夜が健やかなものになるなら
次の朝を迎えることが楽しみになるなら
そんな風にささやかに誰かの力になれるならそんな嬉しいことはないとは思っています。
 
 
今週は、明日 4/28(火)4/30(木)21:00から、この 『デ・オッシの10分ライブ』 を配信します。
それ以降はおそらく5月下旬までお休みさせてもらうことになると思います。
 
良かったら是非、10分強の時間をお付き合いいただけると幸いです。
画面の向こうでお会いできることを願って。
 
視聴方法など 詳しくは コチラ にて。
 
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 デ・オッシ [DE-OSSI]
https://de-ossi.com/
 

2020年4月26日 (日)

数日間ライブ配信をやってみて

デ・オッシの10分ライブ』 というライブ配信を始めて数日が経った。
火・木・金・日、と曜日も時間も少し変え、トークも含めて実質15分程度のライブを行ってきた。
毎回40人前後の方に観ていただき、実際のライブとはまた異なる配信ならではの楽しさや意義を見出せてきている。
 
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大きな価値を感じることのひとつは…
まず、距離を問わないということ。
 
生身の自分たちが目の前で演奏するライブは、自分たちが行くか、皆さんに来てもらうか━━━ とにかく、その町に集まらないと始まらないのだ。
もちろんそこに価値があり、魅力があるのである。
とある町へ自分たちが行き、その町の方、そこまで来ていただいた方に味わってもらうこと。
逆に、奈良に来てもらってそこで味わってもらうこと。
その道中、すべての行程に大きな意味と価値がある。
それは間違いないし、この先もきっと変わらないだろう。

しかし、このライブ配信というものはその距離を問わなくなってしまう。
どこにお住いの方でもインターネット環境さえあればアクセスしてもらえて、限りなくリアルタイムに近い状況で自分たちの音楽を体験してもらえるのだ。
それはひとつ、やはり大きな魅力ではあると思う。
 
コロナ禍の今は現実的にそうするしか方法がないところもあるが、これまでも何度か書いていた通り、このライブ配信というものを本格的に実践していこうと計画を立てていたのは昨年末からのこと。
あくまで実際のライブとはまた違う可能性を探るべく考えていたものだった。
少々のんびりしすぎていた感はあるが、実を言うと五月ごろから有料配信的なものができるように順を追って作業をしていたのだ。
 
自分たちはあくまでミュージシャンであってその筋の技術者ではないから限界はあるかもしれないけれど、ミュージシャンが発信するひとつのコンテンツとしてあまりにも貧相なものは出したくない。
せめて音楽面はきちんとしたものを味わってもらえて、ちゃんと楽しんでもらえるものにしたい。
そういうミュージシャンとしての最低限の想いから、音響機材を揃えたり、場所を確保したりしていたところだった。
それなりに経費もかかるので、お遊び感覚で始められるものではなかったのだが、そこにこのコロナウイルス問題が起こった。
 
予定されていたライブは次々と中止となり、おそらく先々もまだ非常に厳しいことになるだろう。
音楽を生業としている自分たちにとっては、ライブだけではなくあらゆる面で収入を得る機会を失ってしまい、生きていくためにどうすべきかということをあらためて考えなければならない状況になった。
 
そんな中で、日頃から応援して下さっている幾人かの方からわざわざメッセージをいただいたりもした。
有料配信や通販など、何か支援できることがあるならしたい、と。
涙が出るほど嬉しい言葉だった。
この状況でライブを観たいといってもらえること、そんなこともあらためて心に響くメッセージだった。
 
明日食う術がない、という状況までには至ってはいないが (わりと堅実なタイプで良かった) たしかに、お先はまだ真っ暗なままだ。
ただ、人生に関して呑気でポジティブなのは本当に伊達ではないので (威張るところではない) まだ悲観的になってはいない。
しかし、状況を想像して声を掛けてくださったのだろう。
 
そんなことを言ってもらうとむしろ感謝の気持ちが更に増してきて、自分たちの音楽を楽しみにしてくれている人にそれを届けられるなら、一刻も早くそうしたいと思ってしまう。
そもそも五月あたりから有料配信や通販などを開始する予定だったのだが、収益などは後回しにしてとにかく音楽を奏でて届けよう、ということになった。
 
それが今回、急遽スタートすることになった 『デ・オッシの10分ライブ』 なのである。
 
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しかし、そういう気持ちだけで始めたのだが、実際には毎回とても有意義なものになっている。
 
ひとつはリサーチ的な意味合いでとても価値がある。
どの曜日、どの時間帯がやりやすいか、あるいは、皆さんはどのタイミングが見やすいか、など。
最初は二回ほど近い期間でやってみようかと思っていたのだが、火曜がこうなら週末はどうだろう… とか、休日の昼はどうだろう… とか好奇心も含めて気になってくる。
それに、自分たちが構築したものが、音響面、通信面でどれくらい価値があるか、あるいはどれくらい問題が生じるか、などを確認させてもらうことができる。
結果的にみなさんにモニターになってもらってリサーチさせてもらえることとなった。
 
また、実際に配信をしていく中で、こちらの環境を良くするだけではいけないということもよくわかってきた。
どうしたら受信してくれる皆さんに自ら良い環境を作ってもらえるか、調べざるを得なくなった。
また、PCで視聴する方が良いか、スマホの方が良いか、またスピーカーかヘッドフォンか、など実際に皆さん自身に選択してもらい、ベストな環境を知ってもらうこともとても価値があることだった。
 
発信側ができる限りの努力をして良い環境で届ける。
受信側もできる限り環境を整え、様々な選択肢の中からベストな視聴方法を選んでもらう。
今はまだそういう双方の努力が必要な状況だということがわかったこともとても意味がある。
 
 
そして一番は…
 
 
ライブ配信の楽しさを知ることができたことだろう。
 
前々回も書いたが、実際の生のライブとはまた異なる楽しみ方があることを身をもって感じられた。
それはほんのささいな違いかもしれない。
しかし、実際にそれぞれ違うもので、それぞれでしか味わえないものだ。
 
コメント機能、チャット機能というものもそのひとつだが、それ自体は何も新しいものでもないし、必ずしも必要なものではないかもしれない。
しかし、ほぼ一方通行になりがちなライブというものが、双方向のものになるというわかりやすいおもしろさがある。
積極的に参加してもらえるのだ。
それを共有してもらうことができる。
それが不要な方には、見ないという選択肢も用意されている。
これは実際のライブではなかなか難しいことだ。
 
 
大きくふたつ。
物理的な距離を問わない、ということ
積極的に参加し共有できる、ということ
それだけでも配信ならではの楽しみ方があり、価値があることを知ることができた。
 
 
とはいえ、元よりライブというものの魅力や価値をご存知の方にとっては、本当の生のライブに勝るものはないだろう。
実際に演奏して歌っている自分たちも当然のことだ。
いくらリアルタイムとはいえ、ある種のバーチャルが現実を超えることはできない。
少なくとも、いちミュージシャンレベルではまだ構築できない。
 
しかし、ほんの数回こうしてライブ配信をしただけで、実際の生のライブの方に危機感を感じている。
生であるということ以上の価値を見出さなくてはならないのだ。
 
それは自分たちがライブ配信をする上で、音響や空間にも気持ちと時間を注いだことの自負からくるものでもある。
(こんちわ~~! って日常的なものを映すだけならいつでもできたことだしね。)
 
 
逆に生の方のハードルが上がった気がする。
それがまた自分を鼓舞させてくれているのだ。
 
 
今この世の中の状況を見て、正直なところ以前のようなライブ活動というのは結構先までは不可能なのではないかと思っている。
もちろん様々な可能性に期待しながらできることはやりたいと思っているが、そう活発なことはしばらくできないだろう。
そんな中で、やむなく配信をしている、というようなことにはしたくないのだ。
そもそも、そういう理由で始めたわけでも、計画してきたわけでもない。
ひとつのコンテンツとして楽しんでもらえるものを、と考えて構築してきたものだ。
 
なので、このまま楽しいだけでは継続していくことはできない。
一回、十数分を配信するだけでも経費はかかります。
 
今後は予定通り、投げ銭システム (楽しんでもらえた分、課金してもらう形) や、有料配信などのコンテンツを進めて参ります。
 
 
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が。
 
 
この10分ライブというものはできる限り続けていこうか、と思っています。
 
このコロナ禍で、いつも応援してくれている方々への感謝の気持ちは増すばかりです。
ここ数日の配信でも本当に嬉しかったし、楽しかった。
純粋に音楽を奏でられることへの喜びもあらためて感じさせてもらえました。
自分たちが発信するもので楽しんでもらえたり、幸福を感じてもらえるなら、こんな嬉しいことはない。
また、初めての方、興味を持ってくれた方のために少しくらい間口も広げておくのも悪くはないだろう━━━
と、そんな気持ちもあるので、週に一度か、10日に一度か、頻度はまだわかりませんが、自分たちの努力でできる範囲でしばらく継続していきたいと考えています。
 
 
とにかく、デ・オッシの世界をしっかりと伝えるための気持ちと労力は惜しまないようにしたいと思います。
これからも存分に味わってもらえることを願いつつ…
そして、応援もどうぞよろしくお願いします。
 
楽しく幸せな時間を少しでも多く共にさせてもらえることを願って。
 
 
次回の 『デ・オッシの10分ライブ』 は 4/30(木) 21:00~ を予定しています。
また皆さんと幸せな時間を過ごせることを楽しみにしています。
 
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好きな本を七冊紹介します

7日間ブックカバーチャレンジ』 というバトンが盟友・阿部一成からまわってきた。
“読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する” というもの。
さらに、“そのつど、フェイスブック友達をひとり招待し、このチャレンジへの参加をお願いするのがルール” とのこと。
 
カジさん(梶原徹也さん) → 阿部一成氏 → と繋いでもらえて光栄だったし、読書文化の普及に貢献というのもとてもいいなぁと思ったので、参加させてもらうことにした。
が、以前にも 『生涯のお気に入りのアルバムを10枚』 というバトンがまわってきたときにも書いたけれど
“自分の冗長な駄文で日々のタイムラインを汚すのも憚られるし、誰にも求められていないのに自分の愛するものを勝手にアツく語るのは大好きだが、形式的な流れに巻き込まれるとちょっと拒みたくなる、という己の曲がった性分が顔を出す。” ということで(笑)
すんません! またルールを破って、一気にこちらに書かせてもらいます。
 
そして、自分は書き出すと止まらないというある種の病を患っているので、どうせ7日分を一気に書いてしまうのである。
許してたもれ。
 
 
ちなみに… 念のために先に告白しておきたいのだが、自分は決して読書家ではない。
昔からどうも本をよく読むというイメージを持たれがちで、まったくそんなことはないのでどこか… こそば痒いというか、申し訳ないような気がしてしまうのだ。
もちろん、言葉の世界を泳いでその景色の中を旅することは好きなのだが、月に一冊程度ではないだろうか。
ブームが来たら週に二、三冊読むこともあるが、三、四ヶ月くらい読まないなんてことも珍しくはない。
幼少の頃はよく読んだ気もするけれど (そもそも本しか買ってもらえなかった)、日常的に習慣化はしていない。
そしてかなりの遅読派である。
 
なので、そんなに偉そうに紹介できるような立場ではないことをあらかじめ表明しておいた上で、人生で印象に残っている七冊をあげさせてもらおうと思う。
 
 
まず一冊目は
 
 
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『箱男』 安部公房
 
十代の終わり頃だっただろうか。
父親の書棚を漁りだしていた頃だ。
古いハードカバーのこの本はその表題からして以前より気にはなっていた。
そして手に取り、気まぐれに読みだしてからはもう一気に惹き込まれた。
それまでに自分が読んでいた小説とは一線を画すような衝撃を覚えた記憶がある。
まず、言葉の操り方だ。
事象の捉え方、その執拗なまで細部にこだわった表現の手法。
例えば、そこに石があるということに対して、視覚的な面からの解説から、自分の心に沸き起こった疑念や呼び起された過去の記憶まで、もはや日常では気にもしないどうでもいいようなことを事細かく書き表していく。
その文章表現、思考の拡げ方といったものに異様に惹かれた。
そして、人間の中に潜む欲望や本音、そういったきれいごとでは誤魔化されない感情のようなものが赤裸々に書かれているような点も、何か自分がどこかで守ろうとしていた幼児性や純粋さをもはや放棄する時が来たような、そんな感覚すらあった。
背伸びではなく、大人の世界に足を踏み入れたような気分だ。
何となくここを読んでくれている人にはわかるだろうが、こういった文筆家の表現が自分の感性にフィットしたんだろうな。
そういった作品を幾つか下記に続くが、安部公房の他の作品にはその細かい描写が少し過剰に感じすぎて多少辟易してしまったものもある。
東大医学部卒という医学者肌がそうさせるのだろうか。
三島の過剰なロマンティシズムによるものとはまた違ううんざり感が時折顔を出す。
そんな中でこの作品は自分の中でパーフェクトなもののひとつ。(偉そう)
 
 
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『春の雪』 三島由紀夫
 
というわけで、三島。
三島作品にも好きなものが多いが、断トツでこれが好きで最も印象に残っている。
そもそも、「豊饒の海」という四部作の一作目で、その後も物語は不思議な因果関係をもって引き継がれていくのだが、これだけでも見事に完結している。
その四部作は順を追ってだんだんと冗長になっていく印象が個人的にあって、遅読にも輪がかかっていった覚えがあるのだが、この第一作目は夜を徹して一気に読破したように記憶する。
それくらい惹き込まれのだ。
とにかく三島のレトリックの美しさ。
心の醜さすらもその修辞で酔わせる力に感銘を受ける。
そして、人間が持つ心の醜さやおぞましい本音のようなものが、自分にしっかり備わっていることを実感させられること、しかもそれをまるで美しい映像を見ているように突きつけられることが、とても悲しく辛く、またどこか快楽にも感じられてしまうのだ。
ある種の禊のようなものかもしれない。
彼の異常性すらあるロマンティシズム、理想を突き進んでしまう姿からしていわゆる天才であるがゆえに、と思うところもある。
それと同時に、彼の出演した幾つかの映画や自己主張の強いビジュアル作品を見るに、相当な自己顕示欲と生涯消すことのできなかった幼児性のようなものも感じてしまう。
幼児性が強いからこそ表現できたものなのかもしれない。
この 「豊饒の海」 四部作は物語の主要な地として奈良が多く登場するのも好きな理由のひとつだ。
特にこの 「春の海」 と、続く 「奔馬」 は必読。
ちなみにこの作品で重要な舞台となる月修寺はとある奈良の寺をモチーフにした架空の寺なのだが、Googleで 「月修寺」 と検索すると一つ目か二つ目に自分のこのコラムが登場する。
実際にPC画面でこのコラムを見ると左手にアクセスランキングなるものが表示されるのだが、たしかに長年ずっと上位を死守し続けている。
尚、四部作をすべて読破するには、特に最後の 「天人五衰」 の盛り上がりのなさもあって結構体力を要するところもあるのだが、最後の最後のほんの数ページを読むために頑張る価値はある。
その労力を経てこそ、あそこで人生を悟れる、そんな気さえしている。
もし、そういったことまで計算に入れてこの四部作を仕上げていたなら、こちらはもはや平伏するしか術はない。
まさしく天才であるとしか言いようがない。
 
 
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『眠れる美女』 川端康成
 
その三島にとっては師のような存在であり、よき理解者でもあり生涯のライバルでもあったであろう文豪・川端康成。
「伊豆の踊子」 や 「雪国」 といったあまりにも有名な代表作があり、純文学作家といったイメージで最初はあまり興味がわかなかったのだが
幼馴染みの大輔 (「百日草」という曲は彼のことを歌ってます) から川端康成は結構危なくておもしろいぞ、と勧められて読んだ記憶がある。
そういえば、大輔は自分よりいつも少し先に行っていて、彼が教えてくれた音楽や小説が様々あることを今思い出してきた。
たった二十数年の生涯のうちの二十年弱の付き合いだったが、彼が与えてくれた影響は今もこうして変わらず自分の中で大きく存在していることを考えると、また少し胸が熱くなってくる。
さて、川端康成だが、さすが三島が敬愛するだけあってその美しさと共に、その溜息すらでる発想のおもしろさ、結構な頻度で顔を出す異常性に魅力を感じてしまった。
美しいものが腐っていく姿を慈しみながら味わうような感覚。
まさにデカダンスの世界。
そして、とても読みやすくわかりやすい印象もある。
この本は他に二編が収録されているのだが、続く 『片腕』 もおもしろい。
 
 
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『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治
 
宮沢賢治という存在はもはや詩人や作家という概念を越え、ある時代の日本の象徴であり、もはや記号 (アイコン) のようなものであるとさえ感じている。
自分はそんなに夢中になったというわけではないし、実は彼の有名な作品で読んだ記憶がないものもある。
もっと凄まじいファンの方やマニア、あるいは研究家が多数おられることを考えると、取り上げるだけでも何か申し訳ないような気がしてしまう存在だ。
だけど、自分のこれまで作ってきた音楽において、彼の、そしてこの作品の影響力は計り知れない。
形を変え、言葉を変え、自分は実は何度も何度も 「銀河鉄道の夜」 を妄想しながら曲を書いてきている。
それはそうしようと思わなくても勝手にそうなってしまうのだ。
何度も活版所に行ったし、お母さんのために牛乳を買いに走った。
いつかケンタウル祭を見たいと思って待ってるし、何度もプリオシン海岸へクルミの化石を拾いに行っている。
自分が裏切って傷つける友人は実はいつもカムパネルラだ。
自分の曲の中で何度もカムパネルラに謝りながら贖罪を求めてきた。
この本の内容は一度も理解できたことがないし、そう努力したこともない。
なのに、銀河鉄道の夜を思い出すだけで、何か胸が苦しくなって泣けてくることがある。
もう決して会うことはできない人や、帰ることのできない時代、自分の存在意義など、そんなことを想い描きながらいつもジョバンニに自分を投影してしまうのだろう。
この作品を愛する多くの人がそうなんじゃないか、と思う。
そして、僕らのジョバンニはわからないままずっと彷徨い続けているのだ。
ちょうど最近も宮沢賢治のことを想っていた。
 
「僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

かつては本音で思えなかったのだが、近ごろはそんなことをよく考えている。
そして、それに続く
「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう」
という言葉があらためて幾度も問いかけてきている。
自分が語るまでもなく本当に凄まじい作品だ。
 
 
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『草迷宮』 泉鏡花
 
理解できていないシリーズで続けてみたいと思う。
おもしろいとか、印象に残っているとか、そういう感想の前に、そもそも読めなかった。
読んだのが父親のもう赤茶けてしまっている古い文庫本で、文体も漢字も旧いものだったこともあり、少しかじった程度の語学力で想像しながら海外の文学を読んでいるような感覚だった。
だけど無理やり読み進めているうちに、わからないなりにも何故か惹き込まれていって、何が魅力なのかと考えながら読んでいたのだが…
泉鏡花はリズムメイカ―なのだな、と気付いた。
何か心地良いのだ。
言葉の、そして文章のリズムが美しい。
なので、理解はできていないかもしれないが、もしかしたら間違った解釈のまま読み進めてしまっているのかもしれないが、それでも何だか乗せられてしまっていたような覚えがある。
例えば、これはニューヨークに数日滞在していたときなどによくあったのだが、最初の数日は周りの人の英語が聞き取れなくて必死で会話をしていたけれど、ふと気が付いたらわからないなりに何も考えずに会話をしていた━━━ そんな感覚だ。
その後、「草迷宮」で得たあの感覚は何だったのかと思って、また読んでみたくなって書店へ行ってパラパラとめくってみたのだが、現行のものはさすがに普通に読めるものになっていた。
逆に何だか味気なくて、買ってはみたものの、まださわりしか読めていない。
もし、泉鏡花がリズムメイカ―としての才能を持ってこの作品に命を吹き込んでいたなら、あるいはオリジナルの文体で読まなければ魅力が半減してしまうのかもしれない。
そもそも妖怪などが登場する幻想文学ではあるが、染色体の伝達によって自分も受け継いだ “体験したことのない過去の記憶” を味わっているような、そんな魅力がある。
 
 
 
うむ、やっぱりこうやって一回にまとめておいて良かったな。
書き出すと止まらないのよ。長くなってしまうのよ。
よし、このままどんどん行こう。
次、六冊目。
 
 
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『暗夜行路』 志賀直哉
 
志賀直哉の代表作であり、完結までに26年間の時を要した長編である。
引っ越し魔と呼ばれた氏は奈良の高畑にも居を構えていた時期があり、そこでこの作品を仕上げた。
その志賀直哉旧邸と界隈の高畑の閑静な町並みが昔から好きで、ずっと気になっている本ではあった。
その表題からもいろいろなことを想像し、わくわくしながら読みだした記憶がある。
しかし、読めども読めどもさほど惹き込まれない。
たいした事件もあまり起こらず、起こったかと思えば盛り上がりもせずにすぐに解決する。
しかも主人公が裕福で金があるからか、何でもすぐに思い通りになり、ハラハラするところがまったくない。
しかしだ、この主人公は生まれにそもそも受け入れがたい因縁があるのだ。
きっとその不幸な生い立ちのせいでとてつもない悲劇を呼び込むか、あるいは運命を克服して感動のフィナーレを迎えるか、何にしてもエンディングに向かって急加速していくはずだ。
何と言っても近代日本文学の代表作のひとつとされ、あの大岡昇平をして 「近代文学の最高峰である」 と言わしめた名著である。
この長い時間、大して何も起こらない日常というものがあるからこそ、突然の展開というものは輝きを増すのである。
映画 「ディアハンター」 でもそうだ。
前半の無駄にカットの長い、若者たちの怠惰で馬鹿な日常を共有できたからこそ、後半の怒涛の展開が活きてくるのである。
いや、それにしても本当に大したことが起こらないな。
もう後編に入ったけど、時折何かが起こりそうな気配があるけど、すぐに収束してしまう…
で、この時代の日本の男は本当にロクでもないな。
そりゃ今もなかなかジェントルマンにはなれないわ。
もちろん価値観も道徳も時代によって変化するものだから、正しい・正しくないも変わって然りなのだが、こういう価値観をもって生きていたということを学ぶ必要はある。
そういう意味でも、この時代の生活を描いた小説などを、特に男は読んだ方がいい。
さて、後編も残り少なくなってきた。
もしかしたら最後のたった数行ですべてを無駄にするような、すべてを覆すような手法なのかもしれない。
それはそれで魅力的なのだ。
そういった文学も大好きだ。
ん? あれ?
次のページ、(注) になってる。
ん? そのあとはもう 「あとがき」 になってる。
え!? なに? 終わったのか?
えっ!? クライマックス皆無??
何も起こらなかった気がするぞ!?
逆にすごいなこの作品!
直哉、よく26年もかけたな!
 
しかし、なぜか主人公と旅した尾道や大山の記憶は心に残っている。
彼と同化して京都に住んだ記憶もあるし、何なら奈良の志賀直哉のあの部屋でずっと主人公の姿を眺めていたような気もする。
志賀直哉の他の短編・随筆もそうなのだが、何でこれを書いたの? と、おもしろさがよくわからないものが多く、逆に気になって読んでしまう… という謎の魅力がある。
もしやまた… これこそが氏の術中に嵌ってしまっているということなのだろうか。
 
 
さて、次で七冊目。
最後は幼少の頃の思い出深い一冊を。
 
 
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『青い宇宙の冒険』 小松左京
 
言わずと知れた、SF作家・小松左京の名作。
子供の頃に読んでいたのは、文庫本サイズではなく大きめの… 四六判だったろうか。
いわゆる新書サイズだったけれど、七つ年上の兄経由でまた更に上の近所の誰かから受け継いだ本だったので既に古書感にあふれていた。
昭和感たっぷりの絵柄の表紙や挿絵も魅力的で、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズもそうだったが、あの戦後から高度成長期の日本の子供たちを夢中にさせた小説本の佇まいは今でも思い返すとドキドキするような魅力がある。
何げない日常に突然起こる不思議な出来事、ドキドキする探検が始まり壮大な物語へと展開していく。
日々、空想の中を駆け巡っている子供にはたまらない題材だ。
否、大人が読んでも惹き込まれた。
そう、あの冒険の旅にまた出たくなって、大人になってからまた買って読んだのだ。
あぁ、そうだったそうだった、と懐かしさが蘇るシーンもあり、また子供の時には感じることはなかったであろう感情も新たに生まれたように思う。
とても感動した。
大人が読んでも十分満足のいく内容だった。
そして決して忘れてはいけない心がそこには記されていた。
子供の頃に読んだ本を読み返すことの価値を感じられた良い機会だった。
子供の頃に抱いた感情は薄れたり消えていったりしているのではなく、今の自分よりも先に行ってしまっているのだ。
僕は薫風に乗ってそれを追いかけたいと思う。取り戻すために。
 
 
 
というわけで、必要以上に語ってしまった感が拭えないけれど、どうかご容赦を。
七日間で七冊、というルールだけは守ったので、白洲正子のあのエッセイとか、五木寛之のあの小説とか… いろいろ心残りもあるけれど、今このタイミングで印象に残っているもの、ということでこの七冊を挙げさせてもらいました。
まだ読んだことがないものがあって、ご興味をもってもらえたなら幸いです。
自分も書いた甲斐があります。
そして、他の方が読んだらどう感じるのか、どんな印象を持つのか、それにはとても興味があります。
機会があればそんなこともお聞きしてみたいな、と思いました。
 
 
では、一応これはバトンということなので…
 
次は、読書家のイメージがある岡山は高梁市のギタリスト、 Picci君に渡したいと思います。
 
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本来のルールに戻してもらうも良し。
単純にどんな本を紹介してくれるのか興味があるので、お好きな形で是非。
 
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さて、デ・オッシはただいま鋭意、ライブ配信を続行中。
 
次回は 4/26(日) 午前11:00~
 
詳しくは コチラ
 
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