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2018年3月 8日 (木)

“導かれる” ということ

こんなことがあるんだなぁ… という不思議な体験をすることがある。
もちろん稀ではあるが、特に昨年くらいからは幾度となくある。

 

別に、閃光の中から神様が降臨してくる とか、急に空が裂けて雲間から龍が登場する とか
もちろんそういうものではなく、もうそれだったら たぶん既に別の道を歩んでると思う。

 

これまで霊とかにもおそらくお会いしたことはないし、たまたま訪れた場所がパワースポットと呼ばれるところだったとしても、よく人が言う 「ものすごいエネルギーを感じた!」 なんてことも残念ながらない。
そういう、いわゆるスピリチュアル系には無縁の男だ。

 

しかし、“人智を越えたもの” というものはあると思っている。
そもそも、人間が知覚し理解できるものだけが真実なんて思える方がおこがましい。
そうは思っていても、ファンタジックすぎるものや矢鱈にとんでもない奇跡が登場する人の話はいささか受け入れ難いのが正直なところだ。

 

とはいえ、お地蔵さまや神様、仏様に手を合わせてお願いしたり、お礼をしたり、報告をしたりするのは日常である。
何の宗教にも属してはいないが、神社仏閣に囲まれたところで生まれ育ってきて、そういった方々とはずっとご縁があるので、ある意味では実にスピリチュアルな日常なのかもしれない。
芸能に所縁ある仏さまの真言も唱えられるしね。
特にここ数年はよりお付き合いが深くなってる気がしていて、こういうと怒られるかもしれないが、お地蔵さんとかはもうよくお世話になってる友達感覚である。

 
 

お地蔵さん、ごめんなさい。

 
 

しかし、神様や龍が現れたりすることはないが、言葉では説明がつかない体験をすることはあるのだ。

 

行く先々で道を閉ざされ、当初は予定もしていなかったところへ行かされた先に、元々その存在も知らなかった “まさに今、行くべき処” に辿り着く。
どうあっても不可思議な話で、もう 「導かれた」 としか言いようがないことがある。

 

以前にも書いたことがあるが、何年か前から “そこへ向かうべく努力はするが、無理をしてまで行かないようにしよう” ということを思うようになってはいた。
ガツガツと身の丈以上のものを求めて突き進むことが必要な時期もあるとは思うが、何事もまず自分を成さないと道は拓けないものだな、とようやく理解できたのかもしれない。
つまりは、“そうなるべき時にはおのずとそうなっている” “会うべき人には会うべき時に会える” というわけだ。

 

それを人は 「お導き」 と呼ぶのだろう。
それはおそらく当人がそうなるべく努力や精進をして辿り着けたものであることも多いだろう。

本当に精進すれば人は謙虚になる。
だから自分の力ではなく、何かのお導きで今ここに来れたのだ、と信じれるものなのだと思う。
それが大前提にありつつも、前述のようにちょっと言葉では説明がつかない 「お導き」 もあるという話だ。

 
 

さて、ここからが本題なのだが

 
 

逆に言うと 「導かれてなかった」 ということもあるというわけだ。

 

三島由紀夫『豊饒の海』 ではないが、すべての事象がその方向を指し示している、それが進むべき道、答えであることは間違いがないはずのものが、
ドラマティックな展開を経てようやく辿り着いてみると… 実はそうではなかった、というある意味で衝撃的なこともある。

 
 

実は以前に書こうかと思いながら、何か自分の気持ち的に健全ではなかったので思い留まった話を、今回はあえてお話ししようかと思う。

 
 

奈良は吉野の奥深くに天河神社という由緒ある神社がある。
奥深くといっても広大な吉野でいえば中ほどではあるが。

「天河大辨財天社」 が正式な名称だろうか。

芸能の神として知られている 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神とされているので、古来より芸能関係の参拝者が多いことで有名な神社だ。

 
 

そして、「縁がない者は辿り着くことができない」 「呼ばれないと行けない」 と昔から言われていることでも有名である。

 
 

呼ばれていないと、道中で何かしら難に遭遇してどうしても辿り着けないなんて話がよくあったわけだ。
実際に、かつてはとても困難な山道を抜けて行かなければならなかったし、最寄駅からは徒歩で行ける場所ではなく、バスも一日に三本しかない。
現代でも自家用車がなければなかなかハードルが高いアクセス状況だ。

 

実はNolenNiu-de-Ossi以前、まほろば楽座の更に前身にあたるバンド時代は三年ほど毎年正月にメンバーとお参りに行っていた。
大昔に比べればもちろん随分と楽にはなったのだろうけれど、それでもすれ違うのも困難な山道をトラックと譲り合いながら進まなければいけない区域が当時はまだあった。
同じ奈良県内なのに、奈良市内からでも3,4時間はかかったと思う。

 

あれからもう15年以上。
長らく参っていないし、天川村の風景もまた見たいとずっと思っていた。

 

それが昨年くらいにちょっとしたご縁をもらい、ますます気になる場所になっていたのだ。
そうなると不思議なもので、これまで長らくそんな話は出てこなかったのに、東から西から様々な人から天河神社のことを聞かれるようになった。
これは確実に呼ばれているだろう、と思ったわけだ。

 

そして実は、とある計画も練っていた。

 
 

由緒ある天河神社でライブをできないだろうか、と。

もちろん便利な町ナカではないし、格式ある場所だからそう簡単な話ではない。
しかし、だからこそ価値のあるライブになるだろうと思えた。
どこまでのことができるか、下調べをしたりもしていた。
そんな中で、また耳にする 「天河神社」 の言葉。

 

呼んでいただいてるのだから、これはとにかくまずお伺いしなければならないだろう。

 

そう思い、スタジオの日を急遽中止にして、とる子も連れて天河神社へお伺いにいくことにした。

 
 

あれから歳月が流れ、奈良を縦断するバイパスもできた。
吉野の入り口まで辿り着くのも結構な時間がかかっていたのに、本当にあっという間に吉野入り。

しかし、ここからが難所なのだ。

 

と思っていたが、新しいトンネルがたくさんできていて、山中ではあるが道も随分と整備されていて、かつてあれだけ困難だった山道を通ることがなくなっている。
本当にアッという間に天川村に着いた気がする。

 

呼んでいただいているから、こんなに驚くほどスムーズに来られたのか?
などと、おこがましいことさえ思っていた。

 
 

天川村の景色は記憶の中のものとほぼ同じだった。

 
 

辿り着いた天河神社の周辺。

いくつかのお店などに見憶えはあるが、自分の知っている場所ではない気がする。

 
 

そして、天河神社

 

Img_5700

 
 

とても不思議な、奇妙な感覚だった。

 
 
 

知らない景色だ。

 
 
 

こんな境内で、こんなお社があった、という記憶がないのだ。

 
 

Img_5702

 

かつて何度かここを訪れたことに間違いはない。
自分はよほど幼少の頃のことでない限り、何度か訪れた場所をこんなにも見間違えることはない。
まるで記憶を改ざんされたようだ。

 
 

ちょうど神事を終えられた宮司さんがいらっしゃったのでご挨拶をさせていただいた。
そして、お話を伺ってみたが、自分が訪れた頃からは特に大きく変わっていないとのこと。
もちろんそうだろう。
古来からそんなに大きく変わってはいないはずだ。

 

何だろう、このおかしな感覚は。
こんなことがあるのだろうか。

 

それだけではなく、これほど神社仏閣というものが大好きな自分が何か居心地の悪さのようなものを感じるのだ。
居心地が悪いとは実に不遜な言い回しで、失礼千万なことは承知の上で書いている。
つまり、あれは “自分はここに居てはいけない” というような感覚だったように思う。

それは、とる子も同じだったようで、どこか意気消沈しているような面持ちだった。

 

数々の人がエネルギーをもらった、とか、浄化されたなどという話のある、日本でも有数のパワースポットとされる場所である。
元来、そういった文言にはあまり縁のない自分ではあるが、単純に神社仏閣好きとしてもどこか辛く悲しい感覚だった。

何か泣きたいくらいに。

 
 

そして、自分の中で答えを出した。

 
 
 

「招かれてもいなかったのに勝手に来てしまったんだ」

 
 

そうとしか思えなかった。

まだここに訪れるには足らない部分が多いのか、あるいは余分なものを身につけているのか。
何にしても、呼ばれてなどいなかったのだ。
勘違いも甚だしい。
本当におこがましい。

 
 

それが昨年の11月のこと。

 
 

当然ながら、ライブするなどという計画も無くなった。

それでもどこかでずっと気になっていて、次にいつお参りに行くことができるだろうか、と心のどこかで思い続けているように思う。
しかし今、もう一度行こうと思っても、今度は本当に辿り着けないんじゃないだろうか。
そんな気さえする。

とる子ともお互い、天河神社の名前を出すことすらなくなっていった。

 
 
 

それから数ヶ月。

 
 

先日、驚きの連絡をいただいた。

 
 
 

「天河神社の夏の例大祭にて奉納演奏をしていただけないですか。」

 
 
 

こんなことって、本当にあるのだろうか。

 
 

もちろん、すべてのことは、これまでの様々なご縁があってのものである、と理解している。 
しかし、受け入れてもらえなかったんだ、と感じた身にとって、これほど嬉しいことはなかった。

 
 

平成元年に立て替えをされて今年で三十年。
毎年7月16日,17日に行われる例大祭を、今年は御遷宮三十周年記念大祭として一週間されることになった。

18日以降は、特別昇殿参拝としてご開帳され、辨財天像を間近に拝する事ができる本殿参拝を予定され、それにあわせて神楽殿(能舞台)では音楽奉納が行われる。

 

そんな特別な祭事の中のひとつとして、NolenNiu-de-Ossi奉納演奏 させていただけることになった。

 
 

何と光栄なことだろう…

 
 
 

そして、ふと思った。

 

そうか、これこそがお導きだったのかもな… と。

 
 

もしかしたら、ライブを計画して開催すること自体はできたかもしれない。
しかし、それは単なる場所を借りた興業に成り得なかったか?

自問してみると、恥ずかしながらそうなった可能性は否めない。
ミュージシャンとして、音楽イベントを成功させることで必死になったであろう。

由緒ある天河神社であるにもかかわらず、神様に対する畏敬の念をおろそかにしてしまうなどという本来あってはならないことをしてしまったかもしれない。
体裁だけは整えたかもしれないけれど、心はどうだったか。
自分自身でもいささか疑わしい。

 

今はどうか。

 
 

こんなことがあったあとだ。

 

ただただ音楽を捧げたい。
その趣旨の通りに、「奉納したい」 という気持ちが何より第一にある。

 
 

招いていただけたのかどうかはわからない。
そんなことを思うことさえおこがましいと今は思っている。

しかし、もう一度機会を与えていただいたのならば
心を込めてお応えしたいと、ただそれだけ思うのみである。

 
 

もはや、スピリチュアルな話でしかないような気もするので、話しておくが
もうひとつ、思いあたる節がある。

 

先日、阿部一成と吉野へ参詣に行ったことだ。 ⇒ 『何かに触れたような神秘の旅

 

その時も書いたが、吉水神社から吉野の山々に向けて一成が奉納演奏をした。

 

Img_6203

 

一成が笛を吹きだすと次第に立ち上がってくる霧。
先ほどまで全貌が見えていた山々がみるみる霧に包まれていった。

本当に神秘的で神々しい雰囲気だったのだが…

 
 

一成の笛も何か吉野におられる神様に届いたのかな、と何かそんな気さえしてしまう。

しかも、その吉水神社は南朝の後醍醐天皇の皇居。
そして、天河神社も南朝と所縁がとても深い神社。

何かのご縁をいただけたのかな。

 

吉野はむしろ、一成が一緒に行こうと前々から誘ってくれていた。
彼もきっとこの見えない流れの中の重要な存在なのかもしれない。

 
 

ならば、声をかけないわけにはいかないだろう。

まさかスケジュールが空いているとは思えないが… 打診してみることに。

 
 
 

そして

 
 

阿部一成の参加も決定!

 
 

日時は 7月19日(木) 奉納演奏は夜、19時くらいから 一時間ほどの予定。

 

もちろん、ご観覧いただけます。

 
 

しかし、平日の夜。
しかもそう簡単に行ける場所ではありません。

 

最寄駅は近鉄吉野線の 「下市口駅」
下市口駅までは奈良から、また大阪天王寺(阿部野橋駅)からでも一時間くらいで着けます。
しかし、最寄駅ではあるけれど、下市口駅から天河神社までは 約26km
徒歩ならおそらく 6時間

 

バスがありますが、8:4713:2017:20 の三本のみ。
(天川川合という所までなら他にも三本アリ。ただし、そこから神社まで徒歩30分強。)

逆に天河神社からも 7:01 15:26 16:23 の三本しかありません。

 

車なら奈良・大阪どちらからでも今は二時間ほどで着きます。
むしろ車でない限り、夜の奉納演奏なので帰れないと思います。

 

もしかしたら、やはり “呼ばれないと行けない” ところなのかもしれません。

 
 

ただ、天川村にも宿泊施設はありますし、何と言っても格別なのは天川村内の洞川 (どろがわ) 温泉郷

 

Images

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風情だけでは語れない、タイムスリップしたかのような幻想的な町並み。
吉野の山深いその奥で、旅館・民宿が20数軒、土産物店や商店など13店が軒を連ねています。

洞川温泉観光協会 Website

 
 

そう簡単に観に来ていただけるものではないと思います。
もし、何かご縁をいただけたなら
是非、天河神社でお会い致しましょう。

 
 
 
 
 

春日大社、静岡浅間神社、清水の東壽院、剣山系集落、吉野の金峯山寺に吉水神社、そして天河神社。
そしてご縁ある方々。

 

すべて、訪れるべくして訪れているような

ただ導かれるままに辿り着けているような

すべては繋がっているような

そんな気がしてならない。

 

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エミテム&デ・オッシの!
「ヨーヒエルヒー・カラノ=ハルノヒー」

 〜石川・福井・京都〜
 
■3月23日(金) 石川 溜まりBar夕焼け

 OPEN19:00/START19:30
 CHARGE 2500円(1D付) 
 w/ くるみ

 
■3月24日(土) 福井 bar Jake

 OPEN18:30/START19:30
 CHARGE 2000円(1D別)
 w/Asobi-gokoro Band

 
■3月25日(日) 京都 ROOM335

 OPEN18:30/START19:30
 CHARGE ¥2500(要order)
 エミテム&デ・オッシ ツーマン

 

※各会場、お席に限りがございます。ご予約は各会場またはメンバーへお早めにお願いいたします。ご予約お待ちしております!
≫≫≫ こちらの予約フォーム にて
 

 
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Valentinedrive48

 
●4月8日(日)  名古屋 valentinedrive
NolenNiu-de-Ossi・Gazpachos ツーマン

 開場18:30 開演19:30
 Charge 2000円 (Drink等別)
 
ご予約はコチラ

 

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山田晃士・NolenNiu-de-Ossi

 『ばれない嘘 二〇一八』
 
Lie2018
 

【特設サイト】
PC

スマホ
 
 
【Schedule】
 
■4月27日(金)大阪 雲州堂
■4月28日(土) 岡山 MO:GLA
■4月29日(日) 高知 中町バー
■4月30日(月・祝) 高松 RUFFHOUSE
■5月5日(土) 静岡 UHU
■5月6日(日) 東京 中目黒 FJ's

 
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Zwei

■6月9日(土) 奈良 にこちゃん堂
 NolenNiu-de-Ossi ワンマン
 『からくり仕掛けのZwei』

 開場16:30 開演17:00
 3000円 (ケーキ+ドリンク付)

 
 ●要予約●

≫≫≫ ご予約はコチラにて
 
 
どうぞお早目のご予約をお願いします。
 
※ケーキ等のご用意がありますので直前のキャンセルはご遠慮いただきますようお願いします。
 
※イベントの開場は16:30ですが、当日も15:00までは通常ランチ営業されています。

 

●にこちゃん堂
奈良市椿井町45 <椿井小学校前>
 [Website]
 [Map]

 

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2018年もやります!

 

NolenNiu-de-Ossiワンマン ~まほろば楽座Special~
 
■8月23日(木) 大阪 雲州堂
【入場無料・投げ銭制】

 
 
Mahogakuspecial2018

前身バンド “まほろば楽座~マホロバガクザ” の曲を中心としたワンマン。
NolenNiu-de-OssiならではのVer.で。
18年のあちらこちらへの時間旅行を
今から是非予定しておいてくださいね。

 

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