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2020年4月26日 (日)

好きな本を七冊紹介します

7日間ブックカバーチャレンジ』 というバトンが盟友・阿部一成からまわってきた。
“読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する” というもの。
さらに、“そのつど、フェイスブック友達をひとり招待し、このチャレンジへの参加をお願いするのがルール” とのこと。
 
カジさん(梶原徹也さん) → 阿部一成氏 → と繋いでもらえて光栄だったし、読書文化の普及に貢献というのもとてもいいなぁと思ったので、参加させてもらうことにした。
が、以前にも 『生涯のお気に入りのアルバムを10枚』 というバトンがまわってきたときにも書いたけれど
“自分の冗長な駄文で日々のタイムラインを汚すのも憚られるし、誰にも求められていないのに自分の愛するものを勝手にアツく語るのは大好きだが、形式的な流れに巻き込まれるとちょっと拒みたくなる、という己の曲がった性分が顔を出す。” ということで(笑)
すんません! またルールを破って、一気にこちらに書かせてもらいます。
 
そして、自分は書き出すと止まらないというある種の病を患っているので、どうせ7日分を一気に書いてしまうのである。
許してたもれ。
 
 
ちなみに… 念のために先に告白しておきたいのだが、自分は決して読書家ではない。
昔からどうも本をよく読むというイメージを持たれがちで、まったくそんなことはないのでどこか… こそば痒いというか、申し訳ないような気がしてしまうのだ。
もちろん、言葉の世界を泳いでその景色の中を旅することは好きなのだが、月に一冊程度ではないだろうか。
ブームが来たら週に二、三冊読むこともあるが、三、四ヶ月くらい読まないなんてことも珍しくはない。
幼少の頃はよく読んだ気もするけれど (そもそも本しか買ってもらえなかった)、日常的に習慣化はしていない。
そしてかなりの遅読派である。
 
なので、そんなに偉そうに紹介できるような立場ではないことをあらかじめ表明しておいた上で、人生で印象に残っている七冊をあげさせてもらおうと思う。
 
 
まず一冊目は
 
 
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『箱男』 安部公房
 
十代の終わり頃だっただろうか。
父親の書棚を漁りだしていた頃だ。
古いハードカバーのこの本はその表題からして以前より気にはなっていた。
そして手に取り、気まぐれに読みだしてからはもう一気に惹き込まれた。
それまでに自分が読んでいた小説とは一線を画すような衝撃を覚えた記憶がある。
まず、言葉の操り方だ。
事象の捉え方、その執拗なまで細部にこだわった表現の手法。
例えば、そこに石があるということに対して、視覚的な面からの解説から、自分の心に沸き起こった疑念や呼び起された過去の記憶まで、もはや日常では気にもしないどうでもいいようなことを事細かく書き表していく。
その文章表現、思考の拡げ方といったものに異様に惹かれた。
そして、人間の中に潜む欲望や本音、そういったきれいごとでは誤魔化されない感情のようなものが赤裸々に書かれているような点も、何か自分がどこかで守ろうとしていた幼児性や純粋さをもはや放棄する時が来たような、そんな感覚すらあった。
背伸びではなく、大人の世界に足を踏み入れたような気分だ。
何となくここを読んでくれている人にはわかるだろうが、こういった文筆家の表現が自分の感性にフィットしたんだろうな。
そういった作品を幾つか下記に続くが、安部公房の他の作品にはその細かい描写が少し過剰に感じすぎて多少辟易してしまったものもある。
東大医学部卒という医学者肌がそうさせるのだろうか。
三島の過剰なロマンティシズムによるものとはまた違ううんざり感が時折顔を出す。
そんな中でこの作品は自分の中でパーフェクトなもののひとつ。(偉そう)
 
 
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『春の雪』 三島由紀夫
 
というわけで、三島。
三島作品にも好きなものが多いが、断トツでこれが好きで最も印象に残っている。
そもそも、「豊饒の海」という四部作の一作目で、その後も物語は不思議な因果関係をもって引き継がれていくのだが、これだけでも見事に完結している。
その四部作は順を追ってだんだんと冗長になっていく印象が個人的にあって、遅読にも輪がかかっていった覚えがあるのだが、この第一作目は夜を徹して一気に読破したように記憶する。
それくらい惹き込まれのだ。
とにかく三島のレトリックの美しさ。
心の醜さすらもその修辞で酔わせる力に感銘を受ける。
そして、人間が持つ心の醜さやおぞましい本音のようなものが、自分にしっかり備わっていることを実感させられること、しかもそれをまるで美しい映像を見ているように突きつけられることが、とても悲しく辛く、またどこか快楽にも感じられてしまうのだ。
ある種の禊のようなものかもしれない。
彼の異常性すらあるロマンティシズム、理想を突き進んでしまう姿からしていわゆる天才であるがゆえに、と思うところもある。
それと同時に、彼の出演した幾つかの映画や自己主張の強いビジュアル作品を見るに、相当な自己顕示欲と生涯消すことのできなかった幼児性のようなものも感じてしまう。
幼児性が強いからこそ表現できたものなのかもしれない。
この 「豊饒の海」 四部作は物語の主要な地として奈良が多く登場するのも好きな理由のひとつだ。
特にこの 「春の海」 と、続く 「奔馬」 は必読。
ちなみにこの作品で重要な舞台となる月修寺はとある奈良の寺をモチーフにした架空の寺なのだが、Googleで 「月修寺」 と検索すると一つ目か二つ目に自分のこのコラムが登場する。
実際にPC画面でこのコラムを見ると左手にアクセスランキングなるものが表示されるのだが、たしかに長年ずっと上位を死守し続けている。
尚、四部作をすべて読破するには、特に最後の 「天人五衰」 の盛り上がりのなさもあって結構体力を要するところもあるのだが、最後の最後のほんの数ページを読むために頑張る価値はある。
その労力を経てこそ、あそこで人生を悟れる、そんな気さえしている。
もし、そういったことまで計算に入れてこの四部作を仕上げていたなら、こちらはもはや平伏するしか術はない。
まさしく天才であるとしか言いようがない。
 
 
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『眠れる美女』 川端康成
 
その三島にとっては師のような存在であり、よき理解者でもあり生涯のライバルでもあったであろう文豪・川端康成。
「伊豆の踊子」 や 「雪国」 といったあまりにも有名な代表作があり、純文学作家といったイメージで最初はあまり興味がわかなかったのだが
幼馴染みの大輔 (「百日草」という曲は彼のことを歌ってます) から川端康成は結構危なくておもしろいぞ、と勧められて読んだ記憶がある。
そういえば、大輔は自分よりいつも少し先に行っていて、彼が教えてくれた音楽や小説が様々あることを今思い出してきた。
たった二十数年の生涯のうちの二十年弱の付き合いだったが、彼が与えてくれた影響は今もこうして変わらず自分の中で大きく存在していることを考えると、また少し胸が熱くなってくる。
さて、川端康成だが、さすが三島が敬愛するだけあってその美しさと共に、その溜息すらでる発想のおもしろさ、結構な頻度で顔を出す異常性に魅力を感じてしまった。
美しいものが腐っていく姿を慈しみながら味わうような感覚。
まさにデカダンスの世界。
そして、とても読みやすくわかりやすい印象もある。
この本は他に二編が収録されているのだが、続く 『片腕』 もおもしろい。
 
 
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『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治
 
宮沢賢治という存在はもはや詩人や作家という概念を越え、ある時代の日本の象徴であり、もはや記号 (アイコン) のようなものであるとさえ感じている。
自分はそんなに夢中になったというわけではないし、実は彼の有名な作品で読んだ記憶がないものもある。
もっと凄まじいファンの方やマニア、あるいは研究家が多数おられることを考えると、取り上げるだけでも何か申し訳ないような気がしてしまう存在だ。
だけど、自分のこれまで作ってきた音楽において、彼の、そしてこの作品の影響力は計り知れない。
形を変え、言葉を変え、自分は実は何度も何度も 「銀河鉄道の夜」 を妄想しながら曲を書いてきている。
それはそうしようと思わなくても勝手にそうなってしまうのだ。
何度も活版所に行ったし、お母さんのために牛乳を買いに走った。
いつかケンタウル祭を見たいと思って待ってるし、何度もプリオシン海岸へクルミの化石を拾いに行っている。
自分が裏切って傷つける友人は実はいつもカムパネルラだ。
自分の曲の中で何度もカムパネルラに謝りながら贖罪を求めてきた。
この本の内容は一度も理解できたことがないし、そう努力したこともない。
なのに、銀河鉄道の夜を思い出すだけで、何か胸が苦しくなって泣けてくることがある。
もう決して会うことはできない人や、帰ることのできない時代、自分の存在意義など、そんなことを想い描きながらいつもジョバンニに自分を投影してしまうのだろう。
この作品を愛する多くの人がそうなんじゃないか、と思う。
そして、僕らのジョバンニはわからないままずっと彷徨い続けているのだ。
ちょうど最近も宮沢賢治のことを想っていた。
 
「僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

かつては本音で思えなかったのだが、近ごろはそんなことをよく考えている。
そして、それに続く
「けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう」
という言葉があらためて幾度も問いかけてきている。
自分が語るまでもなく本当に凄まじい作品だ。
 
 
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『草迷宮』 泉鏡花
 
理解できていないシリーズで続けてみたいと思う。
おもしろいとか、印象に残っているとか、そういう感想の前に、そもそも読めなかった。
読んだのが父親のもう赤茶けてしまっている古い文庫本で、文体も漢字も旧いものだったこともあり、少しかじった程度の語学力で想像しながら海外の文学を読んでいるような感覚だった。
だけど無理やり読み進めているうちに、わからないなりにも何故か惹き込まれていって、何が魅力なのかと考えながら読んでいたのだが…
泉鏡花はリズムメイカ―なのだな、と気付いた。
何か心地良いのだ。
言葉の、そして文章のリズムが美しい。
なので、理解はできていないかもしれないが、もしかしたら間違った解釈のまま読み進めてしまっているのかもしれないが、それでも何だか乗せられてしまっていたような覚えがある。
例えば、これはニューヨークに数日滞在していたときなどによくあったのだが、最初の数日は周りの人の英語が聞き取れなくて必死で会話をしていたけれど、ふと気が付いたらわからないなりに何も考えずに会話をしていた━━━ そんな感覚だ。
その後、「草迷宮」で得たあの感覚は何だったのかと思って、また読んでみたくなって書店へ行ってパラパラとめくってみたのだが、現行のものはさすがに普通に読めるものになっていた。
逆に何だか味気なくて、買ってはみたものの、まださわりしか読めていない。
もし、泉鏡花がリズムメイカ―としての才能を持ってこの作品に命を吹き込んでいたなら、あるいはオリジナルの文体で読まなければ魅力が半減してしまうのかもしれない。
そもそも妖怪などが登場する幻想文学ではあるが、染色体の伝達によって自分も受け継いだ “体験したことのない過去の記憶” を味わっているような、そんな魅力がある。
 
 
 
うむ、やっぱりこうやって一回にまとめておいて良かったな。
書き出すと止まらないのよ。長くなってしまうのよ。
よし、このままどんどん行こう。
次、六冊目。
 
 
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『暗夜行路』 志賀直哉
 
志賀直哉の代表作であり、完結までに26年間の時を要した長編である。
引っ越し魔と呼ばれた氏は奈良の高畑にも居を構えていた時期があり、そこでこの作品を仕上げた。
その志賀直哉旧邸と界隈の高畑の閑静な町並みが昔から好きで、ずっと気になっている本ではあった。
その表題からもいろいろなことを想像し、わくわくしながら読みだした記憶がある。
しかし、読めども読めどもさほど惹き込まれない。
たいした事件もあまり起こらず、起こったかと思えば盛り上がりもせずにすぐに解決する。
しかも主人公が裕福で金があるからか、何でもすぐに思い通りになり、ハラハラするところがまったくない。
しかしだ、この主人公は生まれにそもそも受け入れがたい因縁があるのだ。
きっとその不幸な生い立ちのせいでとてつもない悲劇を呼び込むか、あるいは運命を克服して感動のフィナーレを迎えるか、何にしてもエンディングに向かって急加速していくはずだ。
何と言っても近代日本文学の代表作のひとつとされ、あの大岡昇平をして 「近代文学の最高峰である」 と言わしめた名著である。
この長い時間、大して何も起こらない日常というものがあるからこそ、突然の展開というものは輝きを増すのである。
映画 「ディアハンター」 でもそうだ。
前半の無駄にカットの長い、若者たちの怠惰で馬鹿な日常を共有できたからこそ、後半の怒涛の展開が活きてくるのである。
いや、それにしても本当に大したことが起こらないな。
もう後編に入ったけど、時折何かが起こりそうな気配があるけど、すぐに収束してしまう…
で、この時代の日本の男は本当にロクでもないな。
そりゃ今もなかなかジェントルマンにはなれないわ。
もちろん価値観も道徳も時代によって変化するものだから、正しい・正しくないも変わって然りなのだが、こういう価値観をもって生きていたということを学ぶ必要はある。
そういう意味でも、この時代の生活を描いた小説などを、特に男は読んだ方がいい。
さて、後編も残り少なくなってきた。
もしかしたら最後のたった数行ですべてを無駄にするような、すべてを覆すような手法なのかもしれない。
それはそれで魅力的なのだ。
そういった文学も大好きだ。
ん? あれ?
次のページ、(注) になってる。
ん? そのあとはもう 「あとがき」 になってる。
え!? なに? 終わったのか?
えっ!? クライマックス皆無??
何も起こらなかった気がするぞ!?
逆にすごいなこの作品!
直哉、よく26年もかけたな!
 
しかし、なぜか主人公と旅した尾道や大山の記憶は心に残っている。
彼と同化して京都に住んだ記憶もあるし、何なら奈良の志賀直哉のあの部屋でずっと主人公の姿を眺めていたような気もする。
志賀直哉の他の短編・随筆もそうなのだが、何でこれを書いたの? と、おもしろさがよくわからないものが多く、逆に気になって読んでしまう… という謎の魅力がある。
もしやまた… これこそが氏の術中に嵌ってしまっているということなのだろうか。
 
 
さて、次で七冊目。
最後は幼少の頃の思い出深い一冊を。
 
 
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『青い宇宙の冒険』 小松左京
 
言わずと知れた、SF作家・小松左京の名作。
子供の頃に読んでいたのは、文庫本サイズではなく大きめの… 四六判だったろうか。
いわゆる新書サイズだったけれど、七つ年上の兄経由でまた更に上の近所の誰かから受け継いだ本だったので既に古書感にあふれていた。
昭和感たっぷりの絵柄の表紙や挿絵も魅力的で、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズもそうだったが、あの戦後から高度成長期の日本の子供たちを夢中にさせた小説本の佇まいは今でも思い返すとドキドキするような魅力がある。
何げない日常に突然起こる不思議な出来事、ドキドキする探検が始まり壮大な物語へと展開していく。
日々、空想の中を駆け巡っている子供にはたまらない題材だ。
否、大人が読んでも惹き込まれた。
そう、あの冒険の旅にまた出たくなって、大人になってからまた買って読んだのだ。
あぁ、そうだったそうだった、と懐かしさが蘇るシーンもあり、また子供の時には感じることはなかったであろう感情も新たに生まれたように思う。
とても感動した。
大人が読んでも十分満足のいく内容だった。
そして決して忘れてはいけない心がそこには記されていた。
子供の頃に読んだ本を読み返すことの価値を感じられた良い機会だった。
子供の頃に抱いた感情は薄れたり消えていったりしているのではなく、今の自分よりも先に行ってしまっているのだ。
僕は薫風に乗ってそれを追いかけたいと思う。取り戻すために。
 
 
 
というわけで、必要以上に語ってしまった感が拭えないけれど、どうかご容赦を。
七日間で七冊、というルールだけは守ったので、白洲正子のあのエッセイとか、五木寛之のあの小説とか… いろいろ心残りもあるけれど、今このタイミングで印象に残っているもの、ということでこの七冊を挙げさせてもらいました。
まだ読んだことがないものがあって、ご興味をもってもらえたなら幸いです。
自分も書いた甲斐があります。
そして、他の方が読んだらどう感じるのか、どんな印象を持つのか、それにはとても興味があります。
機会があればそんなこともお聞きしてみたいな、と思いました。
 
 
では、一応これはバトンということなので…
 
次は、読書家のイメージがある岡山は高梁市のギタリスト、 Picci君に渡したいと思います。
 
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本来のルールに戻してもらうも良し。
単純にどんな本を紹介してくれるのか興味があるので、お好きな形で是非。
 
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さて、デ・オッシはただいま鋭意、ライブ配信を続行中。
 
次回は 4/26(日) 午前11:00~
 
詳しくは コチラ
 
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