« ライブとして成り立たせてくれている重要なもの | トップページ | 会えてないのに会えてる不思議な感覚 【デ・オッシの60分ライブ1】 »

2020年5月20日 (水)

“まほろば” という20代の頃のバンド

本当にたまたまのことだったのだが、昨日Twitterを開いたら、ちょうど自分が20代の前半からやっていた「まほろば」というスリーピースバンド (まほろば楽座の更に前身) の音源のことを書いてくれている人がいて、ふと懐かしくなってそれを探してしまった。
 
 
Photo_20200520222501  

 
もう20年以上前のことなのだが、興味本位で一曲聴いてしまうともうその当時の想いなどが様々蘇ってきてしまって止まらなくなってしまった。
あまりに久しぶりに聞いたので、歌詞などもあらためて客観的に聞くことができたのだが、当時自分が置かれていた状況などを思い出して、よく抜け出せたなと思えたこともあるし、何を若造が生意気なことを言っとるんだ… と失笑することなど…
こんなに過去の自分を楽しめるとは思わなかった。
 
 
当時の音源はまだカセットテープで、オムニバスCDに参加することだけでもそれは一大イベントだった。
そのカセット自体は一応持ってはいるのだが、聴く機器は持っていない。
今こうして多くの過去の音源を聴ける状態にしてくれていたのは、実はとある人物のおかげだ。
 
まぁ、何ももったいぶることはないので言うと、とるこさんなわけだ(笑)。
 
当時は単なるミュージシャン仲間で、アーシーな古いロックを好きなオルガン弾きがいるということでいつか鍵盤を弾いてくれたらなぁ、くらいの知り合いだったわけだが
何だかんだで、「まほろば」 をすごく気に入ってくれて、おそらくすべてのライブを観に来てくれていたと思う。
解散ライブではメンバーが誰ひとり泣いてもいないのに、とるこさんだけは泣いていた(笑)。
 
自分たちの作品の管理すらできていなかったので、今となっては本当にありがたいと思っている。
 
 
さすがに過去のことすぎて、自分があまりにも未熟すぎて、これまでわざわざ公に出す気にはならなかったのだが
もうここまで歳月を経ると、未熟なせがれを紹介するくらいの親バカ加減で晒すのも良いかなと思えてきた。
 
 
というわけで、期間限定にするかもしれないけど
20代の1997~2000年あたりにやっていた「まほろば」というスリーピースバンドの音源を幾つか紹介したいと思います。
 
自分はボーカルとエレキギター。
当時は1974年Fenderストラトキャスターで、アルバート・コリンズやヒューバート・サムリン、ゲイトマウス・ブラウンのように人差し指一本だけで弾くことにこだわっていたような。
今思い出しても本当に何のためにこだわってたのかはわからないんだけど、結構すごいことを頑張ってた気がする(笑)。
 
Yy_20200520222501

 
そして、フレットレスベースと、ブラジル帰りのドラマーの三人編成。
曲は基本的には自分が作っていたけれど、スタジオでセッションで作り上げていくものも多かった。
とにかく、聴いてる人には伝わらない難解なこだわりが多かったことは確かで、それはあくまで自己満足にしか過ぎないんだけど、ミュージシャンとしての自負やアイデンティティはここで育まれてしまった感は否めない…
 
歌が… 我ながらひどくて…
この当時は本当にボーカリストとしての自覚はまったくなく、楽器を弾きながら歌う人くらいのイメージしかなくて、今からタイムマシーンに乗って当時の自分を叱りに行きたいんだけどそれもなかなか難しいのでお許しください。
 
 
それでは、垂れ流しですが、20年以上前の音源歌詞・小話と共に聞いていただきましょう。
全7曲 30分です。
 
まほろば (1997~2000年)
 
-------------------------------------------------
 
『白昼夢』 作詞・作曲:喜多 寧
 
また君を憎み始めて
まず君に謝罪文を書こう
見失わぬよう
 
はみ出した記憶 取り戻すために 何かを捨てねば
やけに勢いよく 降り続く雨に すべて託せたら
吐き出した嘘や 繰り返す過ち 流してもいいかな
守るものひとつ 探し物ひとつ 打ち明けていいかな
 
白昼夢 目覚めて今
君の姿 少し確かめ始めた
見失わぬよう
 
張り詰めた空気 緩和するために 何かを捨てねば
恥じらうことなく 臆することもなく すべて話せたら
何も残らない 虚しい言葉も ときには放つだろう
守るものひとつ 探し物ひとつ 打ち明けよう
 
価値観なんてものを共有しようなんてもがくより
君と僕 それぞれを認め合えるってのはどうかな?
 
見失わぬよう
 
はみ出した記憶 取り戻すために 何かを捨てねば
やけに勢いよく 降り続く雨に すべて託せたら
吐き出した嘘や 繰り返す過ち 流してもいいかな
守るものひとつ 探し物ひとつ 打ち明けていいかな
 
白昼夢
 
あと少し
 
まどわされていられたなら
まだ
まだ
まどろんでいられたなら
あと少しこの麻薬的な世界で
憎しみさえ、虚しささえ、溶かせられるのに
 
-------------------------------------------------
 
一番の定番曲だったかなぁ…
この「まほろば」で初めて東京へツアーに行き、いわゆる業界人にも気に行ってもらって一杯のコーヒーがべらぼうに高い青山の喫茶店でガチガチになりながらできるだけ偉そうな態度をとっていた思い出も蘇るわ…
ものすごく憧れていたプロダクションの人にこの曲を気に入ってもらって、名曲とまで言ってもらえて、その後まったくうまくはいかなかったけれど、自分自身の自信にはなった青春の一曲。
前半はパンデイロだけでリズムが刻まれ、後半にドラムに変わるというのもおもしろいね。
可能性は無限に感じるメンバーだったこと、それは確か。
 
-------------------------------------------------
 
『理不尽な風まわれ』 作詞・作曲:喜多 寧

たとえばタバコはソフトパックが好きで
懐の中でいつも間にか崩れた姿などたまらなく愛おしい
その丸みが必要だと思った
でも時にはボックスにしかありつけないこともあるわけで
束の間の付き合いと思っても、人はそれを妥協と呼ぶのであろう

途轍もなく合理的なこの右手の悪行を
未熟な左手が咎めることなど愚かなことだろう

ところで哲史と戯れに行ったとき
やけに事がうまく進んで
とりわけ俺は宿無しのマックイーンみたく帰る家などないと思った
でもときには山頂で落胆することもあるわけで
せめて印だけはと思っても、人はそれを妥協と呼ぶのであろう

途轍もなく合理的なこの右手の悪行を
未熟な左手が咎めることなど愚かなことだろう

肯定も否定もできない君の一方的な意見に従うのは
君という存在を認めているからがゆえに
でも人はそれを妥協と呼ぶのであろう

途轍もなく合理的なこの右手の悪行を
未熟な左手が咎めることなど愚かなことだろう


守るべきものがあるのなら
災いに見舞われたらいくらでも融通は利かせるさ

理不尽な風まわれ
好きなだけまわれ
理不尽な風まわれ
俺たちのすべてを奪ってくのならそのときは…
 
-------------------------------------------------
 
これも定番中の定番だったな…
複雑な展開と、ブラジル音楽に由来するリズムパターンをポップスに昇華したところは誰にも気付かれることはなくても今でも誇らしく思っている。
ちなみにタバコはとっくの昔にやめました。
 
-------------------------------------------------
 
『明日目覚める人』 作詞・作曲:喜多 寧
 
夜明け前 寝る場所を探してた
付き添いの犬がゴミを荒らしてた
レールの軋む音が遠くで
謎のベールに包まれた今日を運ぶ
 
夢から覚めた金鶏たちが
まだ夢から覚めぬ俺を撃つ
 
高架下の壁の隅で犬と仮眠する
傍観者の俺は町の朝を封印する
 
巣立ったばかりの極楽鳥が
うたたねの俺を黙殺しようとも
 
旅路を迷う渡り鳥たちが
まだ夢から覚めぬ俺を撃つ
 
名曲から気の利いた言葉を探し出し
君の背中に書いて羽根もつけてやる
 
旅立った友は遠くの町で
すり減った靴を履かないらしい
 
やたら甘い子守唄が響く
明日目覚めるひとたちだけのために
 
-------------------------------------------------
 
おそらく「まほろば」で最初にできた曲ではないだろうか。
一応まとめたのは自分だけど、ほとんどセッションで作ったような覚えがある。
初期だけに歌は一段と酷いね(笑)。
これまた、どうでもいいこだわりなのだが、この曲は普通のロックのようで実は 7/8 と 9/8 で出来ている。
結局は 4/4 だ。
しかし、演奏者は 7/8 と 9/8 で感じている。
切り方が違うし、アクセントが変わってくる。
聴いている人にとってはどうでも良いことかもしれないし、伝わらないかもしれないけれど、実は結構難しい。
そんなどうでもいいこだわりは今も脈々と続いてはいる(笑)。
歌詞はだいたい実話、というか実体験。
三味線担いでそこら中で弾いて、気が付けば知らない老夫婦の家に泊まらせてもらったり、公園で朝を待ったり、明日をも知れぬ自分を模索していた時代を思い出す。
あとずっと皮肉めいているところも… 今も人間的に成長できてないね(笑)。
 
-------------------------------------------------
 
『明日の風』 作詞・作曲:喜多 寧
 
身勝手な確信でも
明日は明日の風が吹いてくるから
頬に沁みる湿度も受け入れてしまう
 
報われない明日でも
明日は明日の風が吹いてくるから
頬に宿る痛みも受け入れてしまう
 
身勝手な確信でも
明日は明日の風が吹いてくるから
深い傷になるかもしれない君への想いもすべて
頬に沁みる湿度もそのあと残った傷も受け入れてしまう
 
-------------------------------------------------
 
おそらく末期の曲だったと思うけど、原型はスタジオのセッションだったんじゃないかな?
本場のサンバのリズムが主になってるけど、いわゆるサンバ的な曲を作ることは自分たちのやることではないので、あくまでそうは気付かれないポップス/ロックにしようと…
そう、“気付かれないように” というのは、このときから今まで続く癖のようなものかもしれない(笑)。
あとから “あっ そうだったんだ!” ってわかってもらえるくらい自然に成り立つものにしたというこだわりは…
きっと、とるこもそうだから今も続いているのかもしれない。
で、ふと思い出したけど、これはある種の失恋ソングだなぁ(笑)。
失恋にも至らないくらいの儚い関係の…
 
-------------------------------------------------
 
『かげろう』 作詞・作曲:喜多 寧

金色の鳥が闇夜を駆け巡る
赤い月浮かぶ水面に影ひとつ
行く末も知らぬかげろうゆらゆらと
仮初のときにいくつ夢を見る

目が覚め気付いた 枯野に立ってた
素足で 無力で ひとりで
ゆっくり右手を差し出して怖れた
とまったかげろうは目を閉じた

虫の歌 響く乾いた耳の奥
いたずらに過ごした日々はいずこにか
末枯れるこの身を映す水鏡
舞い落ちる雫でひとつ波がたつ

夜風に流され 今頃気付いた
無欲で 無力で ひとりで
ゆっくり右手を差し出して怖れた
とまったかげろうは目を閉じた

行く末も知らぬかげろうゆらゆらと
仮初のときにいくつ夢を見る

目が覚め気付いた 枯野に立ってた
素足で 無力で ひとりで
ゆっくり右手を差し出して怖れた
とまったかげろうは目を閉じた

目が覚め気付いた

とまったかげろうは目を閉じた
 
-------------------------------------------------
 
あ、違う。
これが最初期の曲だ。
自分で作ってスタジオに持ち込んで仕上げて、このバンドが始まった感。
サビのドラムが妙なところにアクセントが入っているように聞こえるけど、実は普通のエイトビートを一拍ズラして叩いているだけという…
完璧にズラすとこういう風におもしろくなって、後半のフィルでメンバーすら惑わされて危うくなるという、「誰が興味あるねん!」 というこだわりの一曲。
とるこさんは初期にこの曲を聴いたことで「まほろば」に興味を持ってくれたらしい。
日本人としてのアイデンティティを模索しているときにこの曲を聴いて、悔しいと思ったそうな。
そのミュージシャンとしての気概があるから今こうして一緒にやれてるのかもなぁ。
たしかに情緒は意識したかもしれないが、さほど日本的な何かにこだわったわけではなかった。
でも、あとから歌詞が五七五であることに自分が気付いて、そこからより意識できたような記憶はある。
 
-------------------------------------------------
 
『鶏』 作詞・作曲:喜多 寧

午前三時 いつもと変わらぬ出で立ちで
今日もまた鶏たちを起こしに車を走らせる
まだ夜は明けぬ
 
路面には昨日僕が吐き捨てた言葉
まだ消えず明らかな責任の所在を求めてる
まだ夜は明けぬ
 
高円(たかまど)の山上に滲んだ日が昇ったら
仮初の純粋は次第に汚されていく
 
午前九時 田舎道をただひた走る
土手の花 心奪われそっと胸を撫でおろす
まだ許される
 
午前十時 吉隠(よなばり)を抜け、針(はり)へ急ぐ
山道でふと穏やかならぬ心に気付く
まだ大丈夫
 
唐古(からこ)から、鍵(かぎ)への道
望楼に火が灯ったら
錆びついた心も少しは癒されていく
また
 
午前三時 いつもと変わらぬ出で立ちで
今日もまた鶏たちを起こしに車を走らせる
路面には昨日僕が吐き捨てた言葉
まだ消えず明らかな責任の所在を求めてる
 
-------------------------------------------------
 
当時はロックバンドだったから、アコースティックな雰囲気というのは特別だった。
アコギを使ったのはおそらく二曲のみ… そのうちの一曲。
奈良の地名を歌詞に持ち込みだしたのはここからかな?
かなりマニアックな地名ばかりだけど(笑)。
これも何のことはない。
ただの実体験をただ語っているだけだ。
当時ちょうど、自分の借金と共に他人の借金も背負って連絡が取れず、それの返済のために夜も明けぬ早朝から鶏肉の配送をしていたのだ。
まぁ、種を明かすと別れた彼女のために別れた後に肩代わりして借りてあげた金だったわけで、虚しさと辛さもある中、厳しい労働条件で必死で稼ぐ日々だった。
我が家系は昔々大きな造り酒屋だったらしいが、曾祖父あたりの時代に他人の保証人になってすべてを失ったらしく、幼少のころから親から印鑑だけはつくなと教わってきていたのに(笑)、まぁそのあたりは血筋かもしれない。
 
でも、あのとき…
あの頃に見た、若草山の向こうに朝日が昇ってくる瞬間や、朝焼けの景色の美しさは生涯忘れることはないと思う。
得も言われぬ自然の美しさに胸を撃たれたのは、ブレーキも効かないボロボロの2t車から見たものが一番だ。
正直、人生における底辺だったと思うし、とても辛かった。
でも、あの時に感動した景色以上のものを見られていないような気もする。
 
この曲を聞くと、早くミュージシャンとして大成しよう、と毎朝気持ちを引き締めさせられたあの時代を思い出す。
 
 
ついつい、忘れてしまう想いがある。
とても大切なことなのに。
 
過去の自分はとても恥ずかしいけれど
 
過去の自分に戻って、今の自分を見るともっと恥ずかしい。
 
 
おまえ、その程度で納得してるわけじゃないよな…?
 
もっともっとすごいヤツだったんじゃないのか?
 
単なる勘違い野郎だったのかよ、このしょうもない期待外れの情けないヤツが!
 
 
って、本当に自分を罵倒したいくらいだ。
 
 
なんでこんなに涙があふれてくるのかわからないけど
今こうして過去を振り返られたのはとてもありがたいことだったのかもしれない。
 
 
結局、おまえが生半可だったんだよ!
 
 
って過去の自分に言える自分であることだけが救いだ。
 
 
※ 最後に特別編として、2006年にマホロバガクザ+まほろばのDr の特別編成でやった 「理不尽な風まわれ」 も入れておきます。
クラビ&オルガンはもちろん、(現)とるこ です。
 
Maho28
 

聴いてくれてありがとう。
これで数々の過去の曲も成仏できることでしょう。
 
----------------------------------------------------
 


次回のライブ配信はとうとう【60分】の長尺ライブ。
 
    ■5月26日(火) 21:00~
 ≫ https://www.twitch.tv/de_ossi/
 
是非、デ・オッシならではの物語をゆっくり楽しんでください。
この日は 【投げ銭制】 となります。
楽しんでもらえた分、投げ銭をよろしくお願いします。
その方法などは近日改めてお知らせします。
 
 
 デ・オッシ [DE-OSSI]
https://de-ossi.com/
 

« ライブとして成り立たせてくれている重要なもの | トップページ | 会えてないのに会えてる不思議な感覚 【デ・オッシの60分ライブ1】 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ライブとして成り立たせてくれている重要なもの | トップページ | 会えてないのに会えてる不思議な感覚 【デ・オッシの60分ライブ1】 »

フォト
無料ブログはココログ