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2022年3月23日 (水)

自分が現時点で真実だと思っていることはもしかしたら違うかもしれない

 

例えば、「TVは真実を伝えていない」 として、そこからの情報を常に疑うとする。

かといって、自分が精査した(つもりの)ネット上から得た情報が真実だと信じるのは道理が通らない。
 
大手メディアと異なり、規制やあるいは公平・公正への配慮、スポンサーへの配慮や忖度などがないことで発信できる真実もたしかにあるだろう。
しかし、それ以上に虚偽に溢れているのが事実だ。
それなりに高額な著名有識者の有料コンテンツから情報を得ているから、とそれで知った気になるのも非常に危険なことだと思う。(信じたくなるのは当然だろう。)
 
 
結局ヒトは、様々な情報から “自分が信じたいもの” を取捨選択しているに過ぎない。
一方に偏らないように心掛けて判断しているつもりでも、冷静にいろいろなものを精査していると思っていても、いつかは自分が望む結論に辿りつくものを選んでしまうものだ。
 
例えば、その時点まで自分が信じていたものを覆されるような反証を目にしたとする。
読めば読むほど納得はいくし、これまで自分が信じていたものが静かに瓦解していく音がする。
信じたくない!
しかし、もしや、こちらが…
 
と、そのときに、更なる反論記事などが目に入ってくると、やはりそちらに飛びついてしまうことの方が多いのではないだろうか。
 
よほどの決定的事実が明るみに出ない限り、自分の中で築き上げてきた 「真実」 なるものを裏切ることは難しいと思う。
(なので、ある水準を越えてしまうと、明確な事実で否定されても、陰謀だ、隠蔽だ、世の中は騙されている、と認められなくなってしまう。)
 
もちろん、陰謀も隠蔽もこの世の中にはあるだろうし、それが明るみに出た歴史的な事実はある。

そこまで大仰な言葉で語るものではなくても、計画的で作為的な捏造や、恣意的に作り上げられた物語は、庶民の日常のあらゆるところにも潜んでいるのだから、特にそれを否定する必要はないだろう。

 
 

だが、自分は “自分が見たいものしか見ようとしていない” “自分が信じたいものしか信じようとしていない” のではないか? ということは心に留めておいた方が良いと思う。

 
自分はそう努力したい。
真面目であればあるほど、危険度は高いかもしれない。
 
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今に始まったことではないが、ここ数年は特に、そういった “自分が信じたいもの” が募っていくことで、相反する意見の人との対立や分断が日常的なものになっているように思う。
 

政治、医療関係、コロナ問題、ワクチン問題、紛争、戦争…

 
もちろん、自分たちの生活や人生に直結するものなので、論議は必要だし、意見を持つことも大切だと思う。

しかし、過去より大変なことは、“知った気になる” 可能性が、“自分に対する過度の信用性” が、いささか高くなりすぎていることではないだろうか。

 
「自分のことを信用してあげる」 といったような自己啓発的な論点の話ではない。 
それはもちろん、できる限りそうした方が良いし、健全だ。
 
 
専門家ではない人間が専門家のように知った気になることは少し危険だろう。
どれだけ懸命に調べ上げても、自分が専門的に磨き上げてきたもの、研究してきたものではない限り、あくまでそれは他人からの情報である。
しかし、どうもそれが自分が得た専門的知識だというように誤認してしまいやすくなっているのではないだろうか。 (その調べる努力は素晴らしいとは思うが。)
 
ふと振り返ってみて、自分自身に対してもその危うさは十二分にあると思う。
 
ましてや、どのような範疇でも、専門家と呼ばれる方々の間でも意見の相違はあるし、ある時まで真実であったことが後年覆されることなども決して珍しいことではないはずだ。
 
 
なので、何か問題に直面した時に、限られた人からの情報や意見、あるいは一方(片側)からのそれらを得たときは、それが絶対に正しいとは限らないということを心のどこかに置いておくべきだと思う。
実際にその問題に関わる仕事に携わっている業種の人でも、持っている情報は様々だし、その人個人の意見や希望が含まれているはずだ。
 
「人を疑え」 と言いたいのではない。
頭からそれではこの世の中で生きていくのはしんどくなるし、何より悲しいではないか。
むしろ、それを安易に真実だと思ってしまいそうな 「自分を少し疑っておこう」 という感じが良いのかもしれない。
 
 
その上で、あえて大事にしたいのは自分の肌感覚や違和感など非常に抽象的なものだ。
 
逆に真実から最も遠そうなもののように思うかもしれないが、いや、そうだろうか。
 
 
ありがたいことに、あらゆる業種の様々な年齢層の方と長い年月接することができているので、ふとした話の中で学べることや知れることも多い。
こちらから接する相手を選択しないでいられることも、ある意味ありがたいことだと思っている。
 
 

そんな中でいつも思うのは、決して専門家などではないが、その現場にいる人たちの現状や気持ち、体感、また、その当事者の体験やそこから得た意見は、まさに肌感覚で判断できる材料になる、ということ。

もちろん、それがイコール真相だ、となってはいけないが、その場にいない人のもっともらしい意見よりはるかに信用に足りることは確かだろう。
 
 
そうなのだ。
そういった、現場の人・当事者でなく、関わりがないのにもっともらしいことを言う人の意見に傾くこともよくあることだと思う。
そこで、意見がぶつかったり、お互い信用を失うようなことに陥る可能性もある。
 
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今の世の中、専門外のことは無闇に口にしない方が無難なのかもしれないが、疑問を呈したいこと、おかしいと思うことを正したいという気持ちが生まれることもあるだろう。
意見をぶつけ合う必要があるならば、そういう場はあっても良いと思う。
 
信じることはもちろんあった方がいい。
公言する必要はないが、自分の意見も持っておいた方が頭の中を整理できて良い。
そんな中で、自分の意見が正しいと思っていても、“自分が現時点で真実だと思っていることはもしかしたら違うかもしれない” そういった可能性はゼロではない、ということはやはり心の隅に置いておきたい。
 
 
なので
 

“自分は知っている・わかっている” という考え方で、相手の意見や思考をただ否定して終わってしまう人だな、と思った相手とはそれ以上の話をしないようにしている。

 
まったく建設的でも健全でもないからだ。

 

 

でもできるなら、いい関係を築いていきたい。

 

そんなことで関係が崩れるなんて悲しいじゃないか。

 

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